パイプの愉しみ方
観劇・温泉・美食・喫煙 伊予松山駆け足旅行記
機会があれば一度観劇したいと思っていた傑作ミュージカル「KANO ~1931 甲子園まで2000キロ~」が、今年3月15日に愛媛県東温市の坊ちゃん劇場でいよいよ千穐楽を迎えるという話をパイプ仲間との宴席で聞いた。仲間の高校時代の親しい友人O氏が準主役で出演しているというではないか。
「観に行こうかな」と私が呟くと、「よし、じゃあ行こう」と仲間二人がすぐ話に乗った。仕事を引退して毎日が休日の愛煙家仲間だから、こうした楽しい旅行計画は即断即決ですぐに話が纏まる。
早速、東京から四国松山までの交通手段を調べると、LCCのジェットスター便が格安だ。実にありがたい。そこで日程を練り、初日は早朝便で成田空港を発ち午前中に松山空港に到着。空港から松山市駅まで伊予鉄バス。松山市駅から坊ちゃん劇場隣接の温泉宿泊施設までの無料送迎バスに乗り、到着後すぐに午後の公演を観劇することにした。
パイプ愛煙家にとって気掛かりは、旅行先で気兼ねなくゆったりパイプが喫えるかどうかだ。「全館禁煙、敷地内も禁煙」のおぞましい宿には泊まりたくない。調べてみると温泉宿泊施設内に椅子も備えたきちんとした喫煙室があると分かり、まずは問題なし。翌日は松山城などを観光することにして宿は松山市内の喫煙ホテルを予約した。宿探しを担当した仲間の話では、松山市内には部屋で喫煙自由のホテルが結構あるという。嬉しいことだ。
パイプ喫煙と並んで旅行が趣味の私の拙い経験では、小役人が偉ぶった官尊民卑が蔓延る文化水準が低いところに限って馬鹿げた「健康増進法」とやらを盲信した連中が多い。「副流煙」など科学的根拠乏しき迷信じみた嫌煙ファシズムが跳梁跋扈している。嘆かわしい。
郷土の誇れる歴史と伝統に裏打ちされた住民の民度が高い都市は、たばこにおおらかである。人々のものの考えが柔軟で、生き方に余裕と自信があるからだろう。旅行の計画を立てている段階で、早くも伊予松山に好感を抱いた。
さて出発日を迎えた。午前十時前に松山空港着。早速、蛇口から出るみかんジュースで喉を潤し、空港の立ち食いうどん屋で朝食代わりのじゃこ天うどんを啜った。じゃこ天が旨かったので、仲間が松山市駅近くのじゃこ天屋でじゃこ天を焼いてもらって皆で頬張った。焼くとますます美味い!
じゃこ天を「貧乏臭い」と貶した東北のある県知事がいたそうだが、味音痴を自ら吹聴したようなものだ。三人で土産に四十個購入し宅配便で送った。
送迎バスで坊ちゃん劇場に直行。楽しみにしていた「KANO」がすぐ始まる。O氏のご配慮で観やすい席を予約して頂いていた。仲間の声掛けでO氏の高校の同級生四名もわざわざ駆けつけた。
公演は笑いと涙と感動に包まれた素晴らしいものだった。東京から観に来た価値があると素直に思った。演技、歌、ダンスがよく調和していた。演出はよく練られ、台詞も当時の時代思潮に忠実で、今様価値観押し付けの嫌味なポリコレは無かった。ミュージカルの出来不出来を左右する音楽は、和音進行ばかりに頼る単調さはあれ、まず及第点の出来だろう。一度聴いただけで耳に刻み込まれる美しい旋律を生み出すのは、現代の作曲家にとって至難の業なのだから。
野球ミュージカル「K A N O」は、坊ちゃん劇場で実に二年間のロングラン公演を続けてきた作品だ。現在の夏の甲子園大会の前身である全国中等学校優勝野球大会に、台湾代表校の嘉義農林学校が昭和六年に出場して決勝まで勝ち進んだという実話を題材にした。当時の日本統治下の台湾では、嘉義農林(略して嘉農=KANO)の活躍ぶりがラジオで生中継され、全島が熱狂の渦に包まれたと言う。

当時の在校生が手記を集めて出版。これを読んだ台湾の映画監督の魏 徳聖さんが脚本を書き台湾で映画化してヒットした。日本でも上映されて大好評を博し、ミュージカル劇に仕立て直した。詳しい内容はネットで検索されたい。見所のYouTube動画もある。
坊っちゃん劇場:https://www.botchan.co.jp/index.php
KANO(上演は2025年3月まで):https://www.botchan.co.jp/production2023.html
舞台の感動が冷めやらぬところで、隣接の宿泊施設でゆっくり入浴。この温泉は素晴らしかった。色々と温泉場は廻っているが、日本でも指折りの豪華施設だろう。仲間が湯上がりに喫煙室で一服していると、矍鑠とした老人から声を掛けられた。その方は近所にお住まいで、五十年間ほぼ毎日入浴に来ておられるという。言わば、この温泉の主(ぬし)みたいな存在だ。御年九二歳。「温泉と煙草が健康と長寿の秘訣」という訳だ。
舞台で大熱演だったO氏が迎えに来てくださり、伊予鉄に乗って喫煙自由の海鮮居酒屋Mへ。紫煙立ち籠める中でO氏の慰労激励会。この居酒屋は、この二年間ずっと出演し続けたO氏のとっておきの店だという。慰労会には同級生四名も合流して賑やかな宴席になった。
それにしても伊予松山の魚の旨さと物価の安さには感激した。居酒屋でたらふく飲んで食べても一人当たり五千円札一枚で足りる。首都圏の居酒屋では軽く一万円は超えるだろう。魚介類は新鮮、料理の分量も多く、品数が豊富。板場の腕前は流石というレベル。
翌朝、温泉施設の附属売店で愛媛産の様々な柑橘類を詰め合わせて一箱自宅に送った。送料込みでも安い。東京のほぼ半値だろう。お土産買いを済ませ、無料送迎バスで松山市内に移動。
まず秋山好古陸軍大将、秋山真之海軍中将の兄弟の生家兼資料館を訪問した。日露戦役で活躍した郷土の誉れだ。展示内容が充実している。秋山中将が四十九歳で早逝したのは実に惜しい。長生きすれば海軍元帥となり、帝国海軍の重鎮としてそれまでの大艦巨砲主義から、航空機と潜水艦重視の海軍にいち早く舵を切り替えただろうに。彼の早逝は日本の歴史を変えてしまった。
最近、NHKがドラマ「坂の上の雲」を日曜深夜に再放送した。好評だったと聞く。原作の司馬遼太郎の史観と戦術論には首肯できないところも多々あるが、司馬が偉大な作家であり、松山のPRに絶大な貢献をしたことは間違いない。
小雨がしとしと降り始めた午後は、傘をさして松山城を見学した。お城までの洒落た道のりは鯛めし鯛茶漬けなどの美味しそうな食べ物屋だらけ。温泉施設のバイキング朝食で満腹になったのが悔やまれた。
昼下がりをやや過ぎて喫煙ホテルに投宿。この日の夕方も、再び前夜の海鮮居酒屋Mまで伊予鉄で足を伸ばしO氏を囲んで歓談。お腹がくちくなるとパイプをぷかぷか。話が弾んで気がついたら深夜十一時。なんとか松山市行きの終電に間に合った。
最終日は市内電車で道後温泉へ。入浴してサッパリしてから帰京しようという訳だ。日本有数の名湯と言われるだけのことはあった。入浴後に寄った正岡子規記念博物館の立派さと至れり尽くせりの展示には舌を巻いた。帰途の飛行機便の関係で一時間ほど駆け足で観ただけだったが、改めてじっくり見学したいものだ。遅めの昼食は、前日食べ損ねた伊予名物の鯛めしで締め括った。旨かった。
松山空港では、飛行機が遅れた関係で空港内の喫煙喫茶店でビールを飲んで時間を潰した。愛煙家専用の喫茶が空港施設内にちゃんとあるのは嬉しい。空港会社経営陣の見識と懐の深さは見上げたものだ。近代日本の支柱となった偉人が輩出したのも宜なる哉と思った。
市民の文化水準の高さ、素晴らしい温泉、海鮮料理や蜜柑の美味しさ、そして何よりも重要な喫煙自由の宿や飲食店の多さ。伊予松山が心底気に入った。
今回は道後公園内にある軍事評論家水野広徳ミュージアムを見学する余裕がなかった。日露戦役実戦記「肉弾」の著者で旧制松山中学で夏目漱石の教えを受けた櫻井忠温の足跡を辿ることも叶わなかった。
来年の冬場は、伊予松山をゆっくり再訪することになりそうだ。
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