パイプの愉しみ方

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続 偽物ダンヒルパイプにご用心 その8 チョットおかしいパイプの値段

日本パイプクラブ連盟副会長 岡山パイプクラブ会長 香山雅美

 

知り合いのパイプ蒐集家から連絡があった。
ご用件は「シクステン・イヴァルソンを手に入れた。ただ刻印が無い。真贋を鑑定して欲しい」との由だった。

 

大枚をはたいてパイプ専門店で購入なさったのか?
あるいは何かの伝手でたまたま入手なさったのか?
あるいはネット通販などを利用なさったのか?

 

普段から懇意の間柄なら相手も素直に入手した事情を話すだろうし、私も遠慮なく尋ねる。ただ、知人程度の関係となると、お互いに遠慮が働く。相手が言わない以上、私も野暮なことはわざわざ聞かない。

 

せっかくのご要望だし、私も人一倍好奇心はあるから、応じるかどうか一瞬逡巡したものの、やはり鄭重にお断りした。

理由は簡単だ。

そもそも私は高級パイプ、イヴァルソンの鑑定には自信がない。

刻印がどこかおかしいなど明らかな偽物ならすぐに判るが、真贋を断定できる水準までには達していない。まして刻印無しのパイプとなると判定は難しい。

何故ならシクステン・イヴァルソンの初期の作品には刻印が無いのが普通だ。有名なイヴァルソン・スタイルを真似て作られたパイプは数多くある。私程度の力量では鑑定など畏れ多いからである。

 

日本パイプクラブ連盟のこのホームページの読者の中には、パイプの初心者の方もおられるだろうから、ここではイヴァルソンについてごく簡単に触れておく。

 

イヴァルソンはスウェーデンの親子孫3代のハンドメイドパイプ作家として余りにも有名だ。

初代がシクステン・イヴァルソン (Sixten Ivarsson 1910~2001) ハンドメイドパイプの父と呼ばれる巨匠だ。
2代目がラルス・イヴァルソン(Lars Ivarsson 1944~2018)
3代目がナナ・イヴァルソン(Nanna Ivarsson 1974~)

それぞれ同じ『AN IVARSSON PRODUCT』の刻印を使っているが、ラルスとナナが作ったパイプには刻印に加えてイニシャルや名前などが入っている。

 

もっと掘り下げた詳しいことを知りたい方は、ネット検索して欲しい。日本語でだけでなく、少なくとも英語で検索した方がよく分かる。パイプ喫煙関係の様々な情報が載っているpipediaがお薦めだ。英語が苦手な方でも、今では機械翻訳という強力な助っ人があるから、億劫がらずに調べて欲しい。

 

さて、ここで質問。

このイヴァルソン一家三代のパイプで、現在、最も高額で取引されているのは誰だろうか?

私は当然、初代、息子さん、お孫さんの順番だと思っていた。

 

初代は数多くのハンドメイドを作っており、素晴らしい作品、良い作品が多くある。実は私も以前持っていた。

息子のラルスさんとは、有名パイプ製造会社でお会いしたことがある。その時、ラルスさんのパイプを拝見して、どうしても欲しいとは思えなかったので値段は敢えて聞かなかった。

孫娘のナナさん。彼女のパイプを購入する機会はあったが、最後の仕上げが今ひとつだと感じたので、その時は購入を見送った。

 

こんな個人的な事情もあって、私の中では、シクステン、ラルス、ナナの順番で値段が付いていると思い込んでいた。これが普通の感覚だろう。

それが欧州では違っていたのだ。

 

昨年、2024年ポーランド・ポズナンで開催したワールドカップ。日本のハンドメイドパイプ作家O氏のパイプを咥えて、パイプショウの出品者のブースをひやかして見て廻っていたら、恰幅の良い欧州人のパイプスモーカーから英語で声を掛けられた。

 

「あなたのパイプは素晴らしい。ちょっと見せて欲しい」から始まり、「誰の作品か?」、「幾らで購入したのか?」と次々に質問の矢が飛んだ。初対面にも拘らず、まず自己紹介が無い。質問が単刀直入で遠慮も何もない。あまりの不躾さにいささか面食らったというのが正直なところだ。今でも私は彼の名前を知らないままだ。

 

お人好しの私は「日本のO氏のハンドメイドパイプだ」、「O氏は1970年代からパイプを作っているが、このパイプは柘製作所時代に作った逸品で、値段は今の為替レートで換算すると3000ユーロ位だったと思う」と正直に答えた。この辺はパイプ愛好家同士の友誼というべきか。

 

すると、彼は目を丸くして「イケバナのO氏の良い作品を喫うなど勿体無いではないか。未使用なら5000~8000ユーロの値段が付く。こんな素晴らしいパイプをなぜ君は喫うのか?」と尋ねた。

 

私が「パイプはたばこを喫う為のものだよ」と言うと、彼は納得できないようで、怪訝な顔をした。それでも話題を変えて「私のコレクションを見てくれ」と8本ほどご自慢の高級パイプを披露してくれた。8本の内7本は未使用品。その中にナナさんのイヴァルソンパイプがあった。

 

彼は誇らしげに「2000年以降製作のナナさんのパイプは大変貴重なのだ。これを持っている人は少ない」と胸を張った。この言動、何と評するべきか言葉に詰まる。ご立派な風采とは裏腹に、至ってナイーヴな人士であることは読者の皆様も察しが付くだろう。

 

私が遠慮しながら値段を尋ねると「8000ユーロだ。大変安く買えた。今なら12000ユーロでも買えない」との由だった。

 

彼はイヴァルソンを主に蒐集しているそうで、初代のシクステンなら中古品で2000~3000ユーロ、2代目のラルスさんの中古品なら3000~4000ユーロで買えると教えてくれた。3代目のナナさんのパイプは昔の作品はそう高くないものの、2000年以降の未使用パイプは高額で取引されているとのことだった。

 

こうした欧州のパイプコレクターから直接伺った生の情報は、実はとても貴重である。欧米のパイプコレクターやパイプスモーカーと色々と情報交換していると、高級パイプについての彼らの本音の評価を直に知ることができる。それが日本国内で流布している高級パイプに纏わる様々な情報とは違っていることがよくあるのだ。

 

念の為に断っておくが、欧州側の情報が正しく、日本国内の情報が間違っているということではない。その逆でもない。高級パイプに関する情報の深さと幅が広がるという趣旨だ。有り体に言えば、価格を釣り上げるために販売業者さんなどが流している情報や、ネットに日本語で書き込まれている出所不明の怪しげな情報に惑わされずに済むという意味だ。

 

欧州のパイプコレクターも日本の情報を知りたがる。譬えば、柘製作所のIkebanaシリーズは日本製高級パイプとして欧米のコレクターの間では垂涎の的だ。日本を代表するハンドメイド作家のS氏やO氏などは、欧米のパイプコレクターなら知らぬ人はいない有名人である。こうした日本製の高級パイプの最近の動向を彼らも知りたがっているのである。

 

話がやや脇道に逸れてしまったようだ。元に戻す。

ナナさんのパイプがこのところ製作本数が少ないので稀覯品扱いされ、未使用パイプが高値で取引されることまでは理解できた。

それにしても12000ユーロ以上とは、恐れ入った。

私の率直な意見を言わせてもらうと、「チョットおかしくないですか?」

 

なぜなら常識に反しているからだ。既に物故した偉大な初代のシクステン・イヴァルソンの作品と、存命のナナさんの作品を比較すると、ナナさんはまだまだ初代から学ぶべきところが多いというのが偽らざる私の評価だ。私だけの評価というより、ほとんどのパイプスモーカーの見方だと言い切っても良い。孫娘が祖父を超えたという評価は聞いたことがない。

 

初代シクステンが多作の作家だったことは誰でも知っている。多作であったとしても、亡くなってもう新しいパイプは製作できないのだから、評価が下がらない限り、価格は通常は右肩上がりでゆっくり自然に上がっていくものだ。偉大なシクステンの評価が下がっているという話は寡聞にして知らない。存命のナナさんは、これからいくらでも製作できるのだから、未使用品とはいえ、祖父の中古パイプの価格の数倍になっているというのはおかしな話である。

 

唯一できる解釈は、高級パイプ蒐集が投資目的になってしまい、マネーゲームの論理が横行しているということだろう。投機と言っても良い。つまり「12000ユーロ以上」という価格は、マネーゲームが生み出した蜃気楼みたいなバブル価格と見るしかない。マネーゲームはいずれ終焉する。蜃気楼は消えてしまう。日本の高級パイプの蒐集家は今の欧州発のバブルに踊らされない方が賢明だろう。

 

美味しくたばこを味わうための道具であるパイプが、金儲けの対象に成り下がるとは嘆かわしい。美味しくたばこを味わいたくて半世紀の間、モクモクとパイプを喫い続けてきた私からすると「それは邪道だ!」と一喝したくなる。カネが無い貧乏人の僻みで言っているのではないことは御理解頂きたい。

 

私はこの20年余り、世界選手権大会やワールドカップに毎年欠かさず出場している。大会に併設する形で開催されるパイプショウには様々なハンドメイドやメーカーパイプが出品されるが、その場で「これは良いな」と言える新進ハンドメイド作家を発見出来れば実に嬉しい。じっくり腕を磨いた職人が、相違と趣向を凝らしたとても良いパイプが300ユーロ程度の手頃な値段で購入できるからだ。これが今の私の密かな楽しみである。こうした新進作家の評価がいずれ上がれば、私のパイプを判断する眼力が間違っていなかったことの証にもなるからだ。

 

とは言っても、実際にボウルにたばこを詰めて着火して喫って見ないと本当に良いパイプかどうかは分からないのがパイプ選びの実に難しいところだ。木目を活かした造形のセンス、制作技術、ブライヤーの材質の全てが素晴らしくとも、実用に向かないのではパイプ本来の意味がない。それに一度着火した瞬間に、未使用品ではなくなる。「試喫」という方法はパイプにはないのだ。

 

そうそう、一つ言い忘れたことがある。

件のナイーヴな欧州のパイプコレクター氏。自慢しながら見せてくれた8本の高級パイプの中に、第二次世界大戦前の製作という大振りの「ダンヒルパイプ」が1本あった。もちろん中古品である。彼は「大変な貴重品なのだ」と鼻高々だった。確か10000ユーロ以上の大枚をはたいて何とか入手出来たとか漏らしていた。

 

一見すると、80年以上前の古いダンヒルパイプにしてはいささか大き過ぎる感がある。全体に使用感が強いパイプであるにも拘らず、何故か刻印だけがクッキリ目立って不釣り合いだった。刻印自体は正真正銘の本物である。

前回の拙稿をお読みになった読者の方なら、ここまで言えばピンとくるだろう。

私は例の「エステートダンヒル」そのものだと推察している。