パイプの愉しみ方
見た やった わかった! 全日本パイプスモーキング選手権大会、初参加
「まずなんでも出てみる事だ」「人生、他流試合が必要だ」―よく学生に言う言葉だが、小生もパイプスモーキングを始めて、初の公式競技会参加となった第35回全日本パイプスモーキング選手権大会。
当日、会場の浅草ビューホテルがわからず、うろうろしていたら、心配した仲間から「あと15分で始まります。大丈夫?」とメールが入る。
本番10分前、11時50分、無事受付を済ませ、会場である大宴会場に入る。私のテーブルは大会役員が鎮座まします壇上に近い。
大会の司会はいつも私にライターや葉巻を気前よくプレゼントしてくれる、わが日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)仲間の大森さん、審判長はといえば、こちらもJPSC世話人、梶浦さん。
彼は日本パイプクラブ連盟副会長・事務局長・常任理事会議長と、実は日本パイプクラブ連盟の重鎮であることをすっかり忘れていた。
日本パイプクラブ連盟の鈴木会長が私の姿を見つけてくださり、笑顔で手を振っていただいた。「いや、どうもどうも」とお返しの目礼。
大会公式カメラマンで頑張っていたのもJPSCの小野田さん。ご苦労様です。
テーブルはといえば、「なんだ、ほとんど月1回の定例会で会うJPSCの仲間ばかりではないか」。これで心が落ち着いた。
改めて会場を眺める。200名以上の全国パイプクラブ会員が一堂に会する姿は壮観としか言いようがない。「パイプ好きな人ってこんなにいるんだ」
パイプ、マッチ、タンパー、タバコとすべて主催側から支給されたもので競うのだが、さすが、参加費1万5000円に恥じないものがある。
その上、着席したテーブルのイスには、正月のデパートの福袋のように立派なお土産が置いてある。
とりあえず「参加することに意義あり」組の一人だったが、始まれば欲も出てくる。目標は60分だ。
実は本番1週間前、1回だけ仲間と競技用とおなじタバコ「シルクロード」で練習をしたので、そこそこの成果も出したい。
マッチは必ず2本使って、確実に着火させるという基本を守り、順調なスタートだ。
「余分なことを考えず、競技に専念すること」と先輩・平野さんに言われた言葉を墨守する。
始まって数分しただろうか、隣の小松さんの席で、「ガチャーン」と大きな音。いったい何が起こったのか?暑いので、上着を脱ごうとした彼は、その際、くわえたパイプを落としてしまい、ボウルの中のタバコが見事、ぜーんぶ外にこぼれてしまった。全部だ。
競技規則によれば「こぼれたタバコを再びボウルに戻すことはできない」。
よってここで小松さんは退場。しかし、パイプを落として、タバコが全部外にこぼれた例は前代未聞というほど珍事らしい。
「うーん、小松さんらしいなあ」。
その隣で吸っていたベテラン・青葉さんは、最初にJPSC例会に参加したとき、なにもわからない私に葉の詰め方と火のつけ方を教えてくれた先輩。彼がいきなり「消えました」と申告して退場したのが50分すぎ。
「ありゃ、青葉さんもいなくなった」と思いつつ、小生、「これは目標60分突破も夢ではない」と油断した途端、突如として安定していた煙の勢いが衰える。「おかしいな」とあせって吹いたり、吸ったりあがいたが、でてくるのはもはや燃えカスだけ。
ギブ・アップ、56分29秒。目標まで3分半足りず、退場。まだ燃えていない葉がパラパラあったのは未熟ということなんだろう。
「終わったら、このまま仕事に行かなきゃ」と言っていた樫原さんは、パイプ歴1年なれどヘビースモーカー歴30数年の猛者。80分近く吸って、好記録を残し、本当にその足で出かけていった。タフな人だ。
大会終了後の表彰式。団体部門でわがJPSCは4位。惜しくもメダルを逸する。個人部門では森谷さんの9位が最高。
JPSCの今年の例会年間1位の小泉さんがしみじみ言った。「俺がもうちょっと頑張って吸っていたら3位入賞だったかなあ」。
「このタバコがうまいぞ、これはちょっとなあ、とばかりやってるから、ロングスモーキングの練習なんかしてろくにしてないもんなあ」。
小泉さん、そんなことないって。初心者の私では口幅ったいが、そういうおおらかさがJPSCのよさじゃないのかなあ。
ロングスモーキングは敬意を表する高等技術だが、JPSCはどちらかというとパイプスモーキングや人生そのものを心から楽しんでいる人が多いし、何かにつけて集ってわいわいやることが好きな楽しいグループだ。
それに、なんといっても全国最大規模のクラブという存在感は圧倒的だ。
終了後、師匠の外川さんに肩をポンと叩かれた。「小枝さん、これが全国大会なんだよ。これがね。出ると出ないとではえらい違いだろ。いろんなことがわかっただろ」。
はい、そうです。世間は広いですね。パイプ文化が全国でこんなに愛され、育まれているとは、思いも寄らなかった。それが大会初参加の最大の収穫だった。