パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

東京・目白にパイプ愛煙家向けのラウンジが誕生

日本パイプクラブ連盟事務局

 

日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC、東京・銀座)の長老会員である山崎敬介博士(89)が、ご自身が経営していた東京・目白の歯科診療所を全面改装し、パイプ愛煙家が集会場などとして利用できる「オフィス山崎」を今年(2025年)5月に開所した。パイプ愛煙家にとってまことに嬉しいニュースであり、今後の活用が期待される。日本パイプクラブ連盟(PCJ)は、山崎博士にインタビューし、開所の意図やご自身のパイプ歴などについて伺った。

 

 

――パイプ愛好家の溜まり場「オフィス山崎」を開設した意図をご教示下さい。

 

山崎敬介氏:昨今の世間のタバコに関する風潮を見ていると、パイプ愛好家にとって厳しい時代になってしまったとひしひしと感じます。パイプ仲間が集い、飲食を共に楽しみながら談論風発で語り合い、自由にパイプ喫煙を味わえる場所が少なくなってしまいました。

 

十数年前から私は自宅に親しいパイプ仲間を時々お招きして料理やパイプ喫煙を楽しみながら歓談する会を設けていましたが、居宅は広さの制約などから6~7人程度が限界です。

 

5年前に歯科医院を畳みました。そこで歯科診療所だった空いたスペースをパイプ愛煙家のために広く役立てられないかと思い立ちました。私の診療所は20坪の広さです。歯科診療用の椅子や器具類、設備などを少しずつ整理し、今年に入って室内を全面改装し、スモーカーズルームが5月に完成しました。着席してゆったりパイプが喫えるように椅子やテーブルを新たに調達した結果、最大で18名が利用できます。玄関待合室のソファーも移動して使えば、20数名までなんとか座れます。

 

どのように活用していくかは、パイプ愛煙家の皆さんの意見や要望を拝聴しながら、徐々に使用ルールを固めて行きたいと思っています。利用申し込みの窓口はPCJの事務局にお願いし、電子メールでの申し込みになるかと思います。

 

東京都内にいくつかパイプクラブがありますが、できれば関東一円のパイプスモーカーにまで門戸を広げて利用してもらいたいと願っています。

 

J R目白駅から徒歩2分の便利なところです。台所と冷蔵庫は整っていますので、食材と飲み物は自由に持ち込んで下さい。利用に際しては、会場費は電気代の実費程度の低廉なものにしようと考えています。

 

 

――ありがとうございます。集会場の確保に難儀していたパイプクラブ、パイプ愛煙家にとっては、まさに朗報です。山崎先生が、パイプ喫煙を始めたきっかけやその後のJPSCとの関わりなどについてご教示ください。

 

山﨑氏:私がパイプを喫い始めたのは45歳の時で、昭和55年(1980年)です。当時、私は千葉県・船橋市で歯科診療所を開業していました。歯科医師の仕事が多忙で、毎日、長時間にわたって診療に明け暮れていましたので、その疲労感を和らげるために、食べ過ぎ、飲み過ぎてしまって相当な肥満になり、その結果、体調を崩してしまいました。内科医に体重を落とすよう強く促されてダイエットに努め、酒をやめた結果、半年の間に15キロの驚異的な減量に成功しました。ある会合で久しぶりに会った知人が一瞬、私だと分からなかったほど体重を減らしたのです。

 

酒を飲まないと口が寂しくなります。節制に励みつつも代わりに何かしないと間が持たないので、パイプを喫ってみようかと、ふと思い立ちました。以前、大学時代にパイプを喫っていた方がいて、良い香りの記憶があったことが遠因かもしれません。そこで東京・秋葉原のガード下のパイプ専門店でパイプ喫煙セットを一式購入しました。

 

実は、私はシガレットの味と煙が好きではなく、それまでタバコは嗜みませんでした。ところが見様見真似で初めて喫ってみたパイプタバコの味は素晴らしく、気分がとても良くなりました。あっという間にパイプ喫煙の虜になりました。それで私はいっぱしのパイプスモーカーになったという次第です。それから10年ほどは、パイプクラブに所属することもなく、一人で気ままにパイプ喫煙を楽しんでいました。

 

パイプ党になってから、時々、東京・銀座のパイプ専門店菊水に出入りするようになりました。平成2年(1990年)に菊水にパイプタバコを買いに行った際、カウンターの上に置いてあったパンフレットにふと目が止まりました。日本パイプクラブ連盟が列車大会(新幹線コンテスト)の競技参加者を募集していたのです。JR東日本の上越新幹線の車両を1両貸切にして、上野駅を出発して新潟駅到着までの所要2時間半の間にロングスモーキングの技を競うというものです。「面白い催しがあるものだ」と思いました。列車内禁煙が当たり前のように広がってしまった今では全く考えられません。

 

私の郷里は新潟です。ついでに郷里に里帰りすることができると思って、すぐに参加を申し込みました。初めての競技会参加でタイムは30分程度で振るいませんでしたが、この列車大会で、太田昌伸さんに声を掛けられました。太田さんは当時、JPSCの会長でした。後に日本パイプクラブ連盟の会長になられました。JPSCに入会を勧められ、すぐに入会しました。

 

太田さんはクラブの会報作り、季刊発行の「PIPE」誌の編集、広告集めと一人で大車輪の活躍をされていました。太田さん個人の尽力でJPSCも日本パイプクラブ連盟も維持されていたようなものです。

 

当時、JPSCの例会は、蕎麦屋の銀座よし田の2階座敷を借りて行われていました。古参の会員が上座や中央に陣取り、私のような新参者は隅で小さくなっていたものです。JPSCの活動に参加するうちに、パイプ仲間ができて、パイプ喫煙がますます楽しくなりました。パイプは一人で楽しむのも良いですが、同好の仲間ができるとさらに楽しくなるものです。例会は、今と同じ2グラムのタバコでロングスモーキングの技を競いました。

 

そうこうするうちに、よし田の経営者から2階座敷でパイプを喫われると部屋が臭くなると嫌がられ、例会の会場を変えることにしました。なかなか良い会場が見つかりませんでしたが、世話人の外川広洋君が四ツ谷のルノアールの貸会議場を探してきて、以後、そこで例会を開くことになりました。

 

すると、例会参加者が急に減ってきました。銀座よし田では毎回20名以上が参加していましたが、ルノアール四谷に移ると古参の高齢会員が顔を見せなくなり、少ない時は5~6名程度、多い時でも10名程度となってしまいました。

 

その頃、太田さんがPCJ会長に就任された上に少し体調を崩され、従来のようにJPSCの運営を一人で切り盛りするのが難しくなり、外川君、森谷周行君、田崎秀信君、私の若手四人の世話人体制で運営するようになりました。当時、私は新宿区歯科医師会の役員をしていた関係で、JPSCの世話人活動との両立はなかなか厳しかったのですが、私の目白の診療所にJPSCの事務局を置き、会報の作成、会員への郵送などで協力しました。

 

ルノアール四谷での例会開催では、JPSCの活動が先細りになりかねないと、他の会場を探し始めた頃、平成12年(2000年)に最長老の関口一郎さんから東銀座のサロンドジュリエを紹介して頂きました。以後、JPSCは梶浦恭生前会長、青羽芳裕現会長とトップが変わっていますが、会員数は順調に増えて再び隆盛を誇っています。会場を快く提供してくれるサロンドジュリエには感謝しています。

 

昭和42年(1967年)創設で、2年後に60周年記念を迎えるJPSCですが、その維持と運営に大きく寄与した中興の祖は太田さんと外川君だと思います。太田さんは酒が飲めない体質で、その代わり、毎日コーヒーを20杯も飲むという方でしたが、晩年コーヒーの飲み過ぎで胃を悪くされました。外川君は文字通り JPSCに命を捧げるほどの貢献をしてくれましたが、不幸にして早逝してしまいました。惜しい人材を無くしたものです。

 

 

――先生は今年8月に卒寿を迎えられ、パイプ喫煙歴は45年になります。パイプのブランドへのこだわりや、お好みのパイプタバコはありますか?

 

山崎氏:色々のメーカーのパイプを試してきましたが、ブランドへのこだわりはありません。おいしく味わえれば、どんなメーカーでも構いません。好きなパイプメーカーといえばシャコムです。今でもシャコムを愛用しています。マイルドな煙を味わうのが好みですから、マックバーレンのような軽快なタイプのタバコ葉が好きです。

 

ロングタイムスモーキングの競技は面白いと思いますが、私は得意ではありません。全日本選手権大会に参加しても70分〜90分程度の記録ばかりで、個人戦で20位以内にはなかなか入れません。過去の戦績では第19回水戸大会の団体戦でJPSCの3位入賞に、90分喫って寄与したが最高です。

 

 

――山崎先生は85歳まで現役で歯科医師をなさいました。歯学博士の歯科医師というご経歴ですが、タバコについてどうお考えですか?

 

山崎氏:私はパイプタバコだけを嗜みますので、広くタバコ全般については言えません。要はタバコに限らず何事も程度の問題だということです。過度になると、どんな食材も嗜好品も健康に良くないのは当たり前の話です。

 

パイプ喫煙は煙を肺に入れず、舌で煙を味わう口腔喫煙です。1回の喫煙時間を30分程度にとどめていれば、身体への害は少ないと思います。歯への影響も少ないと思います。これも過度にならなければということですが。

 

パイプ喫煙のメリットとしては、舌で煙を味わい、味が良いので、気分が良くなり楽しくなります。パイプ喫煙は味覚の分野で楽しめる稀有な嗜好品です。

 

副流煙の害を言う人がいますが、これも程度の問題です。適宜換気さえしていれば問題ないと思います。

 

 

――ありがとうございました。「オフィス山崎」を多くのパイプクラブの愛煙家の皆さんに気軽な溜まり場として活用して頂くことを、日本パイプクラブ連盟としても願っています。

 

(山崎先生のご経歴)
昭和10年8月 新潟市生まれ。
昭和35年 東京医科歯科大学卒業、以降44年まで同大学歯学部助手。
昭和43年 同大学で歯学博士号取得。
昭和44年 千葉県船橋市に山﨑歯科医院開業。
昭和55年 東京都新宿区に診療所移転。
令和2年  歯科医院閉鎖。

 

熊本日日新聞 1993年11月14日掲載記事:左は故太田昌伸氏、右は山崎敬介氏

 

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日本パイプクラブ連盟事務局からのお知らせ

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