パイプの愉しみ方

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シケモク葉巻 古き良き時代の思い出話 補筆

愛煙家 伊達國重

 

先日、家の修理にやってきた老大工さんから伺ったシケモク葉巻を巡る昔の思い出話を寄稿した。幸いにも多くの愛煙家諸氏の方から「面白い」と好評だったそうだ。そこで日本パイプクラブ連盟のウェブサイト編集担当氏から、私が「話が脇道に逸れるから」と割愛したオマケのところを補ってくれと依頼を受けた。少々記憶が薄れたものの、思い出話を基にできるだけ忠実に場面を再現してみたい。本編を読んでおられない読者の方は、まず本編を読んで頂きたい

 

◇   ◇  ◇

 

まあ、そういう経緯で、この老大工さんは、当時の慶應病院の偉い教授先生から毎日1〜2本の高級葉巻のシケモクをありがたく頂戴することになった。シケモクとはいえ煙草好きにとっては、ほんのちょっとしか喫っていない上等な葉巻は宝物みたいなものだ。こっそり一人で喫って陶然(とうぜん)として味わえば良いものを、魔が刺した。

 

大工さんたちの溜まり場の休憩所で、仲の良かった若い同僚と二人っきりの時に喫って自慢してみせた。安い煙草しか喫ったことがない友達に「どうだい」とちょっぴり見栄を張った訳だ。

 

これがまさに運の尽き。
高級葉巻の紫煙の格別に上品な香りは、安い紙巻きシガレットのそれとはまるで比較にならない。後から続々と入室してきた怖い先輩の愛煙家大工さんたちに、すぐに気付かれてしまった。
「おや、何か、良い香りがするな‥」

 

揉み消してしまう余裕はない。咄嗟に先輩方に見えないよう身体の後ろに隠したが‥。

 

「おいこら、お前、何喫っているんだ」
「葉巻じゃないか」
「俺にも味見させろ」と取り上げられて、回し喫いされてしまった。
先輩方は味見の一服だけで返してくれると思ったのに、「お前なんぞにはもったいない」と返してくれなかった。

 

職人の厳しい徒弟奉公の中で、ついこないだまで見習い修行をしていた若造大工の立場では、先輩方には黙って服従するしかない。まして時代は今から60年以上前の昭和30年代のこと。先輩方は、後輩を「無理偏にゲンコツ」で鍛えるのが普通で、一人前になるにはこれを耐え忍ぶしかなかった。

 

大切なシケモク葉巻を巻き上げられてしまったこの大工さん、先輩方が次々に味見をしている隙を見て何食わぬ顔でスッと休憩所を抜け出そうとしたら「おい、待て」と呼び止められた。聞こえなかったフリをしようとしたが、脚がすくんだそうだ。

 

「ちょっと来い」
「お前、この葉巻どうした?」
「おい、どこで手に入れた?」と早速、有無を言わせぬ尋問が始まった。

 

「拾った」とか何とか言って誤魔化そうと言う考えが一瞬浮かんだが、そんな子供騙しの嘘が通じるようなヤワな先輩方ではない。慶應病院の一番偉い教授がほんの数服喫っていただけで、ポイっと捨ててしまっていた葉巻を無心して、貰えるようになった顛末を有り体に白状せざるを得なかった。

 

「お前、みっともない真似をしているな」
「シケモクねだりとは恥ずかしくないのか」
「親方に知られたらドヤされるぞ」
「会社の看板に泥を塗るような振る舞いだぞ」とさんざん厳しい説教を喰らった。
「すみません」、「申し訳ありません」と項垂(うなだ)れてひたすら謝るしかない。

 

先輩大工さんたちの間でこの件をどうするかの鳩首凝議(ぎょうぎ)が始まった。
「駆け出しの半人前のコイツだから、その偉い教授先生は愛煙家の誼(よしみ)で、哀れに思って恵んで下さったんだろうな」
「とは言え、シケモクをねだるとは不届き千万。職人の風上にも置けない。きちんとケジメをつけさせないと」
「会社の看板が泣く。親方に知られたらタダでは済まんぞ」

 

とはいえ今、試喫したばかりの高級葉巻の強烈な魅力には抗(あらが)えない。建前を声高に言いつつも微妙に本音も混じってきた。
「シケモクとはいえ、ほとんど喫っていない葉巻だ。このまま捨てられてしまうのは勿体無いと言うコイツの気持ちも分からんでもない」
「いまさら、シケモクを辞退させるのは、教授先生のせっかくのご厚意に対して角が立つだろう」
「だったら、コイツに貰わせておいて、後でコイツから没収して、俺たちの責任で処分するのはどうだろうか?」
「名案だな」
おおよそこんな流れで話がまとまった。

 

先輩大工さんたちから「その偉い教授先生の部屋はたっぷり時間をかけて特別に丁寧に仕上げろよ、いいな」と厳命されて、ようやく解放された。

 

もっともこの大工さんも、若かったとはいえ、それほどお人好しではない。シケモク葉巻は毎日、1〜2本頂いたが、1本は先輩方に没収されたものの、もう1本貰った時はチャッカリ隠して、おくびにも出さなかった。

 

没収したシケモク葉巻を、先輩大工さんたちは果たしてどういう風に「処分」したのだろうか?
そんな畏(おそ)れ多いことは、駆け出し大工の身では決して聞いてはならないのであった。

 

昭和30年代後半といえば、日本の高度成長の真っ最中で社会に活気が漲っていたが、庶民の暮らしは決して楽ではなかった。最初の東京五輪の頃、若手の勤め人の月給は2万円に届かなかった。大工さんなどの職人は羽振りが良かったものの、月収3万円前後くらいか。1本千円以上した高級葉巻は、庶民にとっては文字通りの高嶺の花であり、ほとんどのシガレット愛好家は見たこともないしろものだった。

 

老大工さんの他愛もない思い出話。
今、社会の至る所で「何とかハラスメント」を言い立てて職場の人間関係を窮屈でギスギスしたものにする風潮や、四角四面の「コンプライアンス」とやらが大流行りである。そんな頭デッカチの横文字言葉を言う人は誰もいなかった古き良き時代の雰囲気を久しぶりに思い起こさせてくれた。