パイプの愉しみ方
日本パイプスモーカーズクラブ・平成20年次総会報告
日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)では、年次末(通常は11月)に総会を開き、1年間の活動を総括します。総会後は、近隣のクラブの方、お世話になった方々もお招きし、忘年パーティーを行ないます。今年はゲスト15名、会員40名が集まり、盛会でした。
忘年パーティーでは、冒頭、千葉パイプスモーカーズクラブ会長で日本パイプクラブ連盟(PCJ)副会長の内田昇さんからご挨拶を頂き、内田さんは「パイプをこよなく愛する仲間たちへ」と題する詩を朗読されました。
乾杯の挨拶に立ったJPSC会員で菊水社長の内藤幸太郎さんは「パイプスモーカーの足跡」について纏めた文章を読み上げられました。この世界で長年にわたってご活躍の両先輩の含蓄ある言葉をパイプスモーカーの皆さんにもお知らせしたいと考え、紹介いたします。
パイプスモーカーの足跡
○パイプスモーキングの普及
戦前のパイプスモーカーは、外国へ出入りできる層の子息・新聞社の海外特派員・外航船の船員などというような一部の人で、大変ものめずらしく、ましてや、街頭などで、パイプやシガーを喫っている様子は、映画やポートレートに取り入れられて、まさに現在のセレブのあこがれでした。
しかし戦争中から終戦後“たばこ”は配給制で、成人男子を対象として配布(もちろん有料)された。さらに“たばこ”工場の被災のために、“紙巻たばこ”が製造できなくなり、刻みの状態に巻き紙をつけて配給された。ちなみに私共の銀座での配給対象者は7件だけであったと聞いている。この様に大変に貴重な“たばこ”であったので、増量するために“イタドリ”“とうもろこしのヒゲ”その他の葉を混ぜたり(シケモク、モクひろい)して苦労して紙に巻いて喫った。とても手間がかかったものでした。何とか楽に喫えないかと考え、キセル、古いパイプがあれば良いが、竹筒やその他の材料を使って喫煙する方法を工夫した。これがパイプを一般に普及させる事になったとは皮肉なことでした。
その後、フィルター付きの“たばこ”が主流となると、道路その他にフィルターの吸いがらが、マンホール付近、交差点などの汚れが目立っようになった。時も時、アメリカ医学会で喫煙による疾病問題が提起された。当初は紙巻たばこの紙が原因であって、パイプ、シガーによる喫煙は殆ど害が少ないとの説であったためパイプスモーカーのブームが発生した。ところが婦人団体を主体とする嫌煙運動が世界的な拡がりとなり、排気ガスなどの大気汚染と共に問題となり、この複合汚染をWHOが取り上げることとなり、日本でも表示を義務ずけることになった。これも最初は疫学的見地による統計によるもので、原因は現在でも確定されていない。(ちなみにその説の雄であった平山氏は肺ガンで死去)
しかし“たばこ”税は国家・地方の大きな財源・収入で、各国とも規制はするものの、禁止までは到っていない。凡そ“たばこ税”は約65%以上であり、スモーカーは財政に大きく寄与していることを主張すべきである。
○日本パイプクラブ(NPC)
毎日新聞社内に石川欣一(サン写真新聞)(東京大学生物教室石川千代松、子息)を中心として海外特派員帰りの記者などが新聞社の中でささやかなパイプスモーカーグループを始めた。
当時“たばこ”が大蔵省の外局として日本専売公社に移行された。ピース、コロナ、新生が新製品として売出され、更にフィルター付のホープ、ハイライトが販売され始めた。しかしフィルター付になじめず売上も期待したほどにならなかったので、売上げ増進のキャンペーンを始めた。
とは言っても当時のマスコミは新聞雑誌しかなく、NHKのラジオ放送が最大の媒体であり、特にドラマ“君の名は”とか“鐘の鳴る丘”、クイズの“話の泉”“二十の扉”“とんち教室”などは全国的に評判であったので、その番組の出演者は有名人として日本中に知られていて、その方々に依頼して勝田副総裁の肝いりで石川さんのグループと合体して発足した。
主なメンバーとして、石川欣一、徳川夢声、辰野隆、石黒敬七、式場隆三郎、中村研一、小野佐世夫、藤浦洸、玉川一郎、林謙一他で結成され。「今日も元気だ”たばこ“が旨い」「“たばこ”は健康のバロメーター」などの標語が生れた。また“たばこ”の意匠などの企画に参加した。専売公社の官製のパイプクラブであった。尚、NPCは、メンバーの高齢化、嫌煙権の出現で一転して邪魔な存在となり20年程前に解散した。
○日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC)の誕生
JPSCは当時東海道線の通勤の車中で、パイプを喫煙する仲間で趣味のクラブを官製のNPCとは違ったものを作りたいと話題になり、パイプスモーキングを楽しむ仲間がつどい、職業、肩書、年令(20歳以上) を問わず、趣味のクラブで、会長はなく世話人で運営するとして発足したものです。
○パイプコンテストについて
パイプコンテストの最初は、KLM航空が世界一周航路開設記念に、その協力による兼高かおりさんの世界一周(南回り) 達成記念のパーティが八芳園で開かれた時に、NPCのメンバーが招待された際、KLMよりオランダのクレイパイプ、パイプたばこが寄贈され、支配人が挨拶の中でヨーロッパではロングバーニングコンテストが各国で行なっているとの事でやってみるかということで、急遽希望の方々によってコンテストが行なわれたのが最初の公式のコンテストだと思います。成績は全く不明です。
(注)この続きは2008年3月に掲載された<日本パイプスモーカーズクラブ 創立40周年記念パーティ開催> http://www.pipeclub-jpn.org/pipe/detail_16.html 内にある内藤幸太郎氏講話二つのパイプクラブの誕生秘話