パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

パイプとジャズ

週末の夜、パイプ仲間を誘って渋谷のジャズライブ演奏のバーへ足を伸ばした。

バーは1階の片隅に小さな看板。階段を昇っていくとドアに小さく表札がかかっているだけ。馴染みの客しかわからない。野暮な客はお断りという意思表示だろう。こういう都会の落ち着いたバーには、ささやかな人生を身の丈に応じて楽しむ人だけが集まる。

西洋の漆喰で固めた地下の穀物倉を思い浮かべる簡素な内装で、たたずまいは最高だ。スタンダードジャズナンバーのBGMがかすかに流れる中、カウンターやボックスで、紳士淑女が紫煙を漂わせながら、酒と洒落た会話を静かに楽しんでいる。まさに都会の真中の大人の隠れ家とでもいうべき、くつろいだ雰囲気だ。実にいい。

 ラフロイグをオン・ザ・ロックで注文して、まずパイプを一服。今日のタバコは無香料のバージニア葉である。ジャズ発祥の地アメリカに敬意を表してこのタバコを選んできた。

生演奏が始まった。

ボサノバをジャズ風にアレンジした曲を、ピアノがリードしてベース、ギター、ドラムと掛け合う。

ピアノの音色はじつに軽く、和音が澄み切っている。ミスタッチは皆無。音量は大きすぎず、静か過ぎず。まさに天才ジャズピアニストと呼ばれるだけのけれんみの無い見事な演奏だ。

ピアニストのS氏はタバコを咥え、吸いながら即興で弾き続ける。

トレードマークの帽子とよく似合う。

カウンター席では灰皿に置かれたタバコから一筋の煙が立ち昇る。皆、じっと聴き惚れている。私も仲間と一緒にパイプを燻らしながら、ジャズの世界にひたり続けた。

数曲立て続けに演奏した後、客のリクエストに応える。

私はラテンの名曲をリクエスト。ジャズに仕立てなおすのは難しいだろうと思ったが、S氏のカルテットは軽くこなしてみせた。

脱帽である。

生演奏の休憩時間にピアニストのS氏としばし歓談。

「やぁ、パイプですね。懐かしいなぁ。昔、兄貴が喫っていて、僕もやってみたけど、ピアノを弾きながら咥えて喫うのが難しくてねぇ。だからもっぱらシガレット。だけど、香りがいいから、僕もまた始めようかな…」

「両手が自由になるように、マドロスパイプの軽いやつは如何ですか? ジャズ演奏にピッタリで似合うと思いますよ」

「日本人は生真面目でね。音楽を何か、かしこまって真剣に聴かなくちゃいけないと思い込んでいますね。僕らは楽しんで演奏しているんだから、お客さんは、酒でも飲んで、たばこも吸って、くつろいで貰って、愉しんで聴いてもらうのが嬉しいです。僕は世界中を放浪してきたけど、どこの国でもそうしていますよ。うちの面々は僕をはじめとして皆、たばこが大好きでね。よし、今度、パイプをやってみよぉーと」

パイプの話を皮切りに、ジャズ、芸術など各方面に話が弾んだ。

お代わりしたラフロイグを飲み干した頃には、もう深夜だ。

至福の時間はあっという間に過ぎ去る。若い人たちはまだまだ居残って演奏を楽しむようだが、人生の折り返し点を過ぎた大人はそろそろ家路に着く時間だ。

名残惜しかったが、S氏に会釈して店を出た。

コートの襟を立てて歩く花冷えの渋谷の雑踏が心地良かった。