パイプの愉しみ方
パイプの煙 番外編 「台湾・禁煙法実施、それどころじゃなかった私」
入試・期末試験と卒業式の合間を縫って、3月中旬また台湾・高雄を訪問した。日本の政治がかなり動いており、去年に引き続き高雄市日経貿文化交流協会で「混迷する日本政治の動向と課題」と題し、2時間ほど話せという趣旨である。
成田・高雄間がJALの直行便で結ばれ、行き来はラクにはなったが、出かける前に私事を含め、かなりタイトなスケジュールをこなしており、どうも体調がいまひとつ。
よってパイプも持参せず、成田の免税店で、ハバナ産の安い葉巻を買ってポケットにしのばせ、高雄のホテルにチェックインしたら、なんのことはない。タバコは不要だった。部屋には中国語と日本語で「館内禁煙お知らせ」とのペーパーが置いてあった。
「台湾の煙害防制新法は2009年1月11日に施行。当ホテルも全面禁煙を実施致し、マッチと灰皿を撤去しました。お客様におかれましては、何卒ご理解の程、宜しくお願い申し上げます」とある。
ただ、当方も体調がそれどころではなくなってきた。
気温25度の高雄で、悪寒がする。台湾には冷房はあっても暖房の施設はない。フロントに頼んで、電気ストーブと毛布を借りたが、この毛布たるやペラぺラの薄さで、お話にならない。
「咽をやられたらおしまい」という職業本能が働き、持参した抗生物質を呑んでごまかし、うとうと仮眠した程度で、翌日の質疑応答入れて2時間ぶっとおしでなんとか講演をこなす。
ところが、話し終わったとたんに緊張が途切れ、声が出なくなった。「これは医者に診てもらわないといけない」と判断した。
どこに行くか。友人の邱栄金博士らと相談し、やはり間違いないよう、高雄医科大學付設紀念医院に行くことになった。
土曜だから救急患者扱いになる。講演で私の通訳を務めてくれ、地元在住の日本人大学院生の永野里菜さんに同行していただき、心強いことこの上なし。
受け付けでいきなり、ワイシャツの上から血圧を測定され、耳になにか入れられた。それが体温計であることは後で知る。その間にパスポート、医療保険証明書のチェック、病状や名前をカルテに記入され、右手首にはIDホルダーが巻かれた。
大きな番号札に名前が書かれ、その札がぶら下げられた待機用のイスに座って待つ。
30代半ばになるかならないかという若い医師が来た。永野さんの話ではどうやら「日本人?まずいな、英語で話すか?日本語、誰か話せるかい」などと医師、看護士の間で会話が飛び交っていたらしいが、通訳付きとわかり一安心となったらしい。
病状について話すと、永野さんが流暢に訳してくれるが、その間にも看護士は医師に別の患者のことを聞きに来て、それに答えながら、私の診断もする。
どこでも急患は多いものだ。
目の前を点滴をつけた寝たきり患者のベッドが常時行き来するが、病院の空気は、日本のそれに比べたらはるかにおおらかで、暗さがない分助かる。
「内科だから、外科に比べれば、刺激はすくないですね」と永野さんが不安をなだめるように言ってくれたが、お年寄りは北京語が全然通じない。
医師は台湾語で話しかけ、病状を聞いている。地元の言葉は、さすがの彼女にもさっぱりわからないそうだ。
救急医療は体力がものを言うから40歳以上では続かないとは聞いていたが、スタッフが全員例外なく若いのも驚いた。いまなんの治療をしているのか丁寧に説明をしてくれるが、永野さんには「通訳のあなたも日本人か、台湾人に見えるね」とかけっこう世間話もしている。
日本の病院と同じように採血、心電図、レントゲンと次々にメニューが続くが、名通訳のおかげで順調に進む。これで点滴でもしてくれれば、楽になるのだが、それは他の患者のようにやってはくれない。
最後に耳鼻咽喉科で咽、気管支の内視鏡検査を終えてから、医師の綜合診断。 「とりあえず、咽や気管支は深刻ではないから大丈夫だが、1週間はしゃべるな。おそらく過労から来たのではないか。とりあえず3日分の薬を出しておく。帰国したら、かかりつけの医者に行くように」と。
ちなみに英語で書いてもらった診断書にはこうあった。
「われわれは貴兄に強く進言する。帰国したら、貴兄の医療状態を追跡調査するため、ただちに医療機関に行くこと」。
パイプも葉巻も抜きの今回の高雄講演のお土産は、この診断書となった。
さて、新学期になり、大学に提出する別の書類が必要となり、永野さんにはもう1度、病院にご足労願った。
担当してくれた医師、看護師、職員の方々は、皆とてもフレンドリーに協力してくれ、「小枝さんの容態は帰国してから良くなったのか」「台湾が嫌になって、もう来ないのではないか」などなど。そんなことありえません。ますます台湾、いや南台湾の人々の温かさを実感しました。何回でも行きますよ。