パイプの愉しみ方
天地真理
所は白馬山麗、季節は厳冬、宿は嫣然たる美女の笑顔と天然冷蔵酒庫付き豪華スイート。
廊下の突当りは破れ障子で仕切られた布団部屋、暖房は炬燵だけである。到着して最初の作業は、隙間風が入ってこないように、穴をグラビア写真で塞ぐこと、次には村の酒屋で地酒を調達し、断熱材として二重窓の間に並べる作業がある。それが済むと新兵器のスチールエッジを後付けした板の滑走面に、銀パラを塗る者がある。しかし自分はストックの手革の手入れに専心する。崖下の深い吹き溜まりに転落したとき、板は失ってもストックが手に残っていれば生還できる、というのがその昔スキーを手ほどきしてくれた師匠の教えなのだ。
当時のスキーストックは竹が一般的で、就中広東産のトンキン竹が最高とされた。強度、軽量、しなり具合、そして詰んだ節の姿の良さ。高級品になると、雪抑えも細い根竹を優雅に輪に加工したもので、曲げ木の普及品とは一線を画していた。永年の乾燥室の煙で煤竹となったストックを携えるスキーヤーは、ゲレンデに立っているだけで周囲から一目置かれたものである。其の後、合竹、軽量スチール、アルミ合金、そしてカーボンと無機質な棒切れと化し、板や靴に比べれば機能的進化は無に等しい。
竹ストックによる滑走(猪谷六合雄「雪に生きる」昭和18年羽田書店刊より)
想い起こせば、往時は竹に囲まれて暮していた。夏の日は野に蜻蛉を追い、冬の夜は食卓で鍋のあくを掬い、全て掌に蘇るのは竹の感触である。常在戦場の嗜みとして和式馬術の竹根鞭を傍らに置き、医者を評価するのに筍、藪の基準尺度を用いた。火吹、布団叩、団扇、庭球ラケットさえ合竹だったものである。現今のようにパンダに竹薮を独占させておくのは、人間の名折れである.パイプスモーカーとて、火との丁々発止の勝負を統べるに竹製タンパーに勝るものはない。誰かトンキンストックの在処を知らないか。
トンキンではない竹製タンパー