パイプの愉しみ方
屋久杉パイプ
「屋久杉」は屋久島の山岳、標高約800m〜1700mに分布していて、樹齢が千年以上のものを指します。推定樹齢七千二百年と云われる「縄文杉」を始め、世界最大級の切り株で中が祠になっている「ウィルソン株」、二体の屋久杉同士が枝と枝で融合されている「夫婦杉」など、樹齢数千年と推定され、人間の想像をはるかに超えた大樹が今もなお深い呼吸を続けています。
天正14年(西暦1586年)豊臣秀吉が、京都・東山に方広寺「大仏殿」を造営せんとして、用材を諸国に求めました。当時、元亀元年〜明暦元年(西暦1570〜1655)、儒者として活躍された、泊如竹という翁が屋久杉の利用を島津藩に進言したのでした。屋久島に住む人々は屋久杉を屋根に使う平木として、島津藩を通し京都まで納めていました。
以下に、季刊誌「生命の島」第12号 平成元年初春 に掲載されている泊如竹関係資料、文献紹介の中から「屋久杉と翁」を抜粋させて頂きました。
“今日屋久島は有名な屋久杉の産地であるが、当時は山は御嶽霊山、杉は神木と称して、島の人達は崇りがあるといって恐れ、誰一人伐採するものはなかった。翁は島民の困窮を救うのが王道を行うものであると考え島津に建言し、又山に登って一七日(七日間)山にこもって神に祈られた。下山して村の人達に「この度山の神からお告げあった。屋久杉を伐りたいならば伐らうと考える木に前日斧を立てかけよ。翌日行ってみてその斧が倒れていなかったら、それは神木でないから伐ってもよいのだ、と……神様がその様に仰るから試して見るがよい」と、これを聞いた村の人たちは始めて安緒して屋久杉を伐るようになった。神代杉が屋久杉といって広く世に知られ島の名産になるきっかけである。”
現在、屋久杉伐採は禁止されており、国有林として、また世界遺産登録地域として、厳重に保護されています。当時、切り倒されたものの、建材としての利用に不向きであったクセのある木で、里まで運び出されず山中に残されたもの(土埋木)を、国の管理の下で年間決められた量のみ運び出し、入札が行われ多くは島外の業者に渡っていきます。山中に残る土埋木も底が見えつつあるようで、運び出すことができる量が制限され、その量も年々減りつつあるのが現状です。
現在の屋久杉工芸に全般的に使われている材はその土埋木です。
入札権の無い個人の場合、屋久杉の材を入手するには、工芸屋のおじさんと親しくなるか、島外に渡り、すでに製材されたものを上乗せされた金額で買うか、または大水で山から流れ出た流木を拾うか、といったところです。
海岸に打ち寄せられる流木の多くは腐っているか、乾燥していても虫食いの穴だらけです。
稀に拾うことができる「屋久杉の流木」には虫食いの穴が比較的少なく、削ってみるとほんのり甘く香るものや、深く落ち着く香りがする物もあります。
中には削った刃物がべっとりとするほど、油分が多く、ギラギラと光を放つ物もあったりします。
色も様々で白や黄色、オレンジや赤、茶色から黒まで。
年輪も間隔の広いものや目の詰まったもの、本当に千差万別です。
岩盤でできたこの島の山岳に根を張り、 台風や落雷など非常に過酷な環境の中で数千年という命を育んできたことを木目が想像させてくれます。奥岳から何らかの理由で川を下り、激流に揉まれながら外洋に出て漂流し、長い旅を終え、ようやく生き残った者のうち、いくらかがたまたま海岸に打ち寄せられる。僕は彼らには何か不思議な魅力がある様な気がしてなりません。
ある日、拳2つ程の大きさの、螺旋状にねじれた、ずっしりと石のように重たい塊を拾いました。その木は合掌をばってん(ばつ)に交差させ、両手の平をくの字に曲げた形をしていました。そのスパイラルはどこまで続いていたのだろう、そんなことを思いました。
僕はこの木を何の迷いもなくパイプにしよう、と閃きました。
僕はそれを3等分し、真ん中の一番芯の詰まった1つを取り、切りたての木目を眺めました。
浮かんできた全体像は「金の卵」。
その都度湧いてきたイメージを取り入れつつ、小刀で少しずつシェイプしていきます。
削りだしていくうち、見えてくる木目のインパクトにだんだんと深みが出てきます。
それは突然のことでした。夜も更け、小刀を鞘に納め、サンドペーパーでその木を磨き始めると、外は一変して暴風雨が走り廻り、雷が地響きのように鳴り響き始めました。停電するかもしれないな。そんな嵐の中、作業が進みました。窓からの視界にうっすらと色が着き始める頃、作業も一段落、すると鳴り続けていた雷も治まり、朝日が昇りました。
そんな日が数日間続きました。
磨いている途中、だんだんと浮かび上がってくる光明に、僕はどこか気配を感じていました。
この木には何かが宿っている。そんな気がしました。
「雷神様」だ!
卵の殻をそぎ落とした中身は雷神様だったんだ!
光明を眺め、そう感じた瞬間に、体中に鳥肌が立ち、涙が止まらなくなりました。
屋久杉の木目に魅せられて涙を流す人がいると云う話を聞いたことがあります。
僕が涙を流したのは今回が初めてでした。
僕は手をらせん状に交差させた合掌をしてこんなことを思いました。
木の神よ、私はあなたを傷つけました。本当にごめんなさい。
さぞ痛かったことでしょう。私が責任を持って「本物」に仕上げさせて頂きます。
もう傷口をごしごしするようなことはしないから、治まって下さいね。
削りの工程が全て終わると、昨日まで夜中ずっと続いていた雷雨が嘘のよう、五月晴れが続きました。
「金の卵」の殻を破り、浮かび上がってきた「雷神様」。
雷神様はそこで何をしているのだろう。
雷神様のストーリーを考えながら仕上げていきました。
黒く厚い雲の上に立ち、岩をも砕く雷を谷へと落とす
空が明るく煌めいて、辺りを雷鳴が駆け巡る
お天道様はそれを見守っておられる
今回この作品を創り、木目の奥深くに緩やかにうごめく光明を眺めながら、雷神様のストーリーを考えた際が一番心ときめいたように思います。
静まりかえった屋久島の夜、余分なものは一切ない。電球1つ、または2つを灯し、作業台にスポットを落とす。「屋久杉」と「僕」、二人きりの世界。奇跡的に出会い、現在はパイプの姿をしているこの木、この屋久杉は僕にとって「御神木」だと思っています。
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