煙から世界を読む
第4回 日本は「禁煙後進国」か? |
よく「日本は禁煙後進国」というような言い方を耳にします。 世界の大勢は「禁煙」に向かっており、日本の状況はそれらの禁煙先進国と比べてずいぶん立ち遅れているとか、先進国の中で日本の喫煙率が際立って高いのは外国に対して恥ずかしいとか簡単に口にする人たちがいますが、それって本当なのでしょうか? 国際学会や旅行などで諸外国に行くと、耳にしていたのとは全く違う状況に直面します。 まず、どの国でも喫煙者は皆さんが思っている以上の割合で存在しています。男性の70%以上と言われる中国のような国は別として、喫煙率が低いと言われている北米やイギリス、あるいは北欧でも町を歩けば多くの喫煙者と遭遇します。国際学会などでも喫煙所は一種のサロンのような状態で、賑わっています。何しろあれほど厳しく規制されているアメリカでさえ、男女とも25%以上の喫煙者が存在しており、その数字は一度下げ止まった後には余り減っていないのです。 日本では男性40%、女性12%程度と言われていますから、少なくとも女性に関してはアメリカでは日本の約二倍の喫煙人口があるわけですし、この手の数字は全年齢層の平均ですから、勤労年齢層ではさらにその割合は高いはずです。 これはどう考えても「マイノリティ」と言うには余りにも大きな数字です。ですから、どの国でも日本とそれほど違わないかなりの数の喫煙者、愛煙家が存在しているのであり、日本だけが喫煙大国であるなどというのはほとんどデマなのです。 これらの国々の一部では既に建物内での喫煙が厳しく規制されているせいもあり、屋外や路上での喫煙は比較的大目に見られています。路上や公園のベンチにはたいてい灰皿が設置されていますし、道端で喫煙している人たちの姿も多く見かけます。先日訪れたフィンランド(禁煙化政策で有名)でも、ヘルシンキの街角ではくわえタバコで歩いている多くの喫煙者を目撃しました。 また建物内での禁煙が強いられてので、オープンカフェのような屋外のテーブルには例外なく灰皿が並べられていて、数多くの喫煙者がくつろいでいます。大学や病院などでも戸外には喫煙所が設置されています。嫌煙運動の発信地の一つであるUCLAでさえも、建物外には灰皿が沢山設置されていました。 アメリカは、州による違いはありますが、東海岸、西海岸の都市部では建物内の喫煙はほとんど禁じられています。それでは、どこでも喫煙できないのかというとそんなことはなく、屋外では灰皿が沢山置かれていて、少なくとも屋外でさえあればかなり自由に喫煙することができるのです。椅子が置かれているところも少なくありません。ロスアンゼルスやニューヨークのレストランやバーの入り口には必ず喫煙所があるし、空港でも屋外に一歩出ればどこでも灰皿が置かれています。 それに比べて、昨今の日本の状況は異常であると思います。喫煙所がとんでもなく遠い場所に設置されている成田空港や羽田空港、喫煙者の数に比べて余りにも面積の足りないJR東日本の喫煙所、屋外にすら全く喫煙所が設置されていない巨大商業スペースなど、おそらくは日本では世界一のスピードで喫煙規制が進められています。 空港に関して言えば、私が最近トランジットで立ち寄ったシンガポールのチャンギ空港では、おそらく世界でも最高レベルの快適な喫煙所が空港内に何カ所も設置されており、エアミストで煙を吸着し、ソファでゆっくりとくつろぐことができました。 成田空港の荷物部屋のような狭い喫煙所とは雲泥の違いです。また、イタリアやフランスのように最近建物内の全面禁煙法が施行された国でも、オープンカフェや鉄道駅では全く規制はありませんし、路上や公園にも沢山灰皿が設置されています。EUの中だけ見ても、スペイン、オーストリア、スイス、ドイツや東欧諸国などの多数の国々では建物内でもまだまだ喫煙は自由です。 確かに日本では建物内では「分煙」がまだ主流ですし、居酒屋や喫茶店、あるいはパチンコ屋やゲームセンターでは喫煙が全く自由な場所も多いというのも事実です。しかし、そういった施設では現実的に見て喫煙者の客の方が多数派であるというのも、また事実だと思うのです。まあ、それでもファミレスやファーストフード店では完全禁煙や、密閉した喫煙室を設置する店も増えてきていますから、だんだんと棲み分けが進んでいると思いますし、それは別に悪いことではないと思うのです。無理矢理にFCTCの勧告などを押しつけられる必要は現状ではどこにもありません。 問題なのは、日本では世界の中で唯一、「屋外での喫煙規制」をどんどん進めているということなのです。「歩き煙草禁止」や「路上禁煙」の地区がどんどん増えています。もはや都市部の鉄道駅周辺やオフィス街では、喫煙場所はほとんどありません。煙草を長時間我慢して電車から降りても、そこから何キロも歩かないと煙草を吸えないという、喫煙者にとってはまるで拷問のような規制が行われています。 私にはこの「歩き煙草」という言葉のレトリックによって、余りにも不当な封じ込めがなされているように思えてなりません。こうした主張をする人々は、子供の火傷、吸い殻のポイ捨て、煙による非喫煙者の健康被害などの理由を挙げています。確かにいずれも人ごみや雑踏の中ではもっともな理屈です。しかし、「路上」や「屋外」にはそうではない場所や時間帯も存在するのです。深夜の駅前商店街、誰もいないバス停、人通りの少ない路地、建物の入り口から遠く離れ、人の出入りのない場所などでは、これらの危険性がきわめて少ないというのは明らかでしょう。 マナーを守るという呼びかけで十分なことを、わざわざ条例化したり、罰金を徴収するなどという行き過ぎた喫煙規制が行われている国は、世界の中でも日本しかありません。 周囲に誰もいない屋外で青空の下でのんびりと煙草を吸いたいという多数の人々のニーズも厳然として存在している。それなのに、彼らをすべて動物の檻のような喫煙室に閉じ込めて、それ以外は一律「路上禁煙」というのは、もはや「嫌がらせ」や「虐め」と言うしかありません。 もっとも、そうすることで「禁煙しよう」という意欲を高め、喫煙者自身を健康被害から救うことができるので、結局は喫煙者の利益にもつながるのだというようなむちゃくちゃな論理まで繰り出されてくるのですから、もはや開いた口が塞がらなくなります。 私の知る限り、欧米の国々で「屋外」での喫煙それ自体を禁じている国は一つもありません。もちろん、これは「先ずは屋内での全面禁煙」というWHOの戦略からそうなっているのですが、少なくともこの意味で日本こそが世界一喫煙規制が厳しい国であるというのは紛れもない事実だと思います。 室井尚(むろい ひさし):横浜国立大学教授、情報哲学者 |
2007.10.03 |