煙から世界を読む

煙から世界を読む

横浜国立大学教授、情報哲学者 室井尚の「煙から世界を読む」
第6回 「受動喫煙」という詭弁

第2回で紹介した、2007年6月のFCTC(タバコ規制枠組条約機構)の勧告は「受動喫煙の害」を防ぐために「屋内での完全禁煙」を主張するものでした。

彼らの主張は次のようにまとめられています。*1

  1. (1)受動喫煙は健康に重大な影響を与える
  2. (2)受動喫煙に安全量はない
  3. (3)公衆の集まる場と職場の完全禁煙以外の対策はありえない
  4. (4)空調・空気清浄機・分煙によって受動喫煙の害をなくすことはできない
  5. (5)いかなる人々も受動喫煙の害を受けることのないよう対策を行なわなければならない
  6. (6)すべての労働者は完全禁煙の場で働く権利がある
  7. (7)人々を受動喫煙から守るには、一切の例外を認めない法的規制が必要である
  8. (8)実効のある受動喫煙防止法には、実効のある強制条項、施行措置条項、モニタリング条項が不可欠である

全体的にとてもめちゃくちゃな論理展開なのですが、とりあえずは、(1)と(2)が彼らの主張の根幹となっているようです。(3)以下の主張はすべてこの二つが前提となっています。

まずは(1)の根拠として彼らは、タバコの副流煙の方が主流煙よりも有毒物質の含まれる種類と量が多いこと、肺ガン、虚血性心疾患、乳幼児突然死症候群などの病気の「原因物質」であることを主張しています。

もはやおなじみとなった主張ですが、言うまでもなく、有毒物質の種類が多いことと、健康に害があることとは直接関係はありません。あるとしたら、それらの有毒物質がどれだけ身体の中に摂取され、蓄積されているかということが示されなくてはなりません。副流煙、あるいは環境内タバコ煙は空気中で何千倍にも希釈されており、肺喫煙をしている喫煙者が吸っている主流煙と比べて、体内に摂取されている量は明らかに微量なはずです。また、よく指摘されているように、都市における自動車の排気ガスは、タバコと違って、動物実験で明白に発ガン性が示されていますが、何の規制もされていません。また、そもそも以前も書いたように、物を燃やせば必ず有害物質は発生するのです。焼き魚やバーベキューの煙もまたそうした有害物質の塊にほかなりません。

彼らは最近になってタバコがIARC(国際ガン機関)らの「発ガン物質のグループ1」(もしくはグループA)になったということをタバコの有害性の根拠としたがりますが、ここにはもっと古くから「アルコール飲料」や「塩漬けの魚」などをはじめ多数の日常的なものがリストされているのです。しかも他の発ガン物質のほとんどはラットやマウスなどでの実験医学的裏付けがあるのに対して、タバコには疫学的根拠しかないのです。ですから、「タバコは有害物質の塊」というのは不当に誇張されたキャンペーンにすぎないというのが、私たちの従来からの主張です。

また、受動喫煙がさまざまな病気の「原因」となる、というのも正確ではありません。疫学研究は、毎日喫煙者と一緒に暮らしている非喫煙者の方が、そうではない人たちよりも10%から30%ほど、いくつかの病気による死亡率が高いとしていますが、それらの数字は、百歩譲ったとしても単に「相関性」を示しているだけであり、けっしてタバコの副流煙だけがそれらの「原因」であることを証明しているわけではありません。そもそも、肺ガンや虚血性心疾患の「原因」は、ストレスの蓄積や加齢や遺伝であることは明らかであり、たとえタバコが関係しているとしても、それは「誘発因」の一つであるとしか言うことはできません。

私はタバコがこれらの病気の「誘発因」のひとつでありうること自体を否定はしません。喫煙者において、身体が老化したり、体調が悪くなったりした時に、日頃刺激を与え続けている喉や肺のガンが起こりやすいというのは、充分にありうることだと思います。喫煙者の肺ガンによる死亡率がたとえ非喫煙者の4,5倍高いとしても(これらの数字はたいてい実際よりもかなり多く見積もられていますが)、そのことが「タバコが肺ガンの原因」であることの理由とは思えないのはそういうことです。私がガンに罹る場合に、それが肺ガンや咽喉ガンである確率は他の部位のガンよりも高いかもしれませんし、実際にそういうことになるかもしれないことは否定できません。しかし、だからと言って、それをタバコの「せい」にしたり、タバコを止めようしたりするのはナンセンスだと思うのです。

したがって、彼らが主張する(1)に関しては何の根拠もないと考えられます。むしろ、問題なのは彼らの「問題設定」なのです。ここで主語になっている「受動喫煙」(passive smoking/ second-hand smoking)という言葉自体が、最初からある一定の偏ったものの見方を提示しています。

そもそも「喫煙」とは、タバコの煙を体内に積極的に摂取する活動と定義できます。シガレットのように肺の奥底まで吸引する「肺喫煙」、パイプや葉巻のように肺には吸引しない「口腔喫煙」の違いはありますが、いずれの場合にも喫煙者は能動的に煙を体内に吸い込んでいます。

「受動喫煙」という言葉が最初に使われるようになった時、それは例えば昔の雀荘のようにタバコの煙が充満しきっている閉ざされた空間で、自らの意志に反してタバコ煙を「呼吸させられている」というような状況がイメージされていたのではないかと思います。「受動喫煙の害」と言われる時に、常に「夫が喫煙者の妻」というモデルが選ばれることからも分かるように、不本意ながらタバコの煙を「吸わされ」、そのことが何らかの病気の「誘発因」となるというようなことがそこでは言われている。

ところが、冒頭のFCTCの勧告などにある「受動喫煙」「二次的喫煙」というのは、どうもそうではないようです。たとえば、(4)の「空調・空気清浄機・分煙によって受動喫煙の害をなくすことはできない」などと言われている時の「受動喫煙」とは、「ほんのちょっとだけ、タバコの煙の臭いがする」というようなことも含んでいるきわめて幅広い概念に変わっているのです。こんなのは、誰がどう考えたって「喫煙」ではない。息を止めたり、顔を背けたりさえすれば、いくらでも避けられる程度のことにすぎないのです。

それなのに、これが「非喫煙者の健康に重大な影響を与える」というのは余りにも極端な主張だと言わざるをえません。

そこで出てくるのが、(2)の主張-すなわち、「受動喫煙に安全量はない」という主張です。これはじつに驚くべき主張です。

どうやら、この主張は2001年にWHOのグロ・ハルレム・ブルントラント事務局長が出した声明文に由来しているようです。この元ノルウェーの元女性首相は1998年のWHO事務局長就任演説で「タバコは人殺しである」と述べ、その後、元々は「環境内タバコ煙と肺ガンの発生率には関係がない」という研究成果を出したIARCにその発言を撤回させ(2001)、全世界的な嫌煙運動を力強く展開してきた人物なわけですが、医学的な研究と全く関係なく、どんな少量の暴露でも「受動喫煙」が健康被害をもたらすのだというキャンペーンを広げてきました。

これはすごい主張です。だって、ほんのちょっとタバコの臭いがするだけで健康被害があると言っているのですから。確かにもしそれが本当であるなら、「分煙」や「棲み分け」は不可能です。こうして、この主張は列車や飛行機、あるいはタクシーなどの乗り物内の全面禁煙や建物内全面禁煙、さらには路上禁煙などといった過剰な禁煙政策を推し進めていく根拠とされてきました。簡単にそれを信じてこんな暴力的な決定をしてしまう方も問題なのですが、何せ、実際は健康ヒステリーの女性政治家にすぎないにしても、世界の医学や健康政策を牽引するWHOの事務局長がそう言っているのですから、みんなきっとそこにはきちんとした医学的根拠があるはずだと信用したのですね。

しかし本当にそうなんでしょうか? 本当にきわめて微量のタバコ煙にすら重大な健康被害をもたらすことがあり、そのために完全禁煙しか方策はないのでしょうか?FCTCの勧告書には一応レファレンスがついていて、それらのことが医学的な「エビデンス」によって証明されていると書かれています。ネットで参照できるようになっているのは、「わずか30分間の受動喫煙によって毎日1箱の喫煙者と同じ冠状動脈内皮機能障害がもたらされることが日本の研究者によって明らかにされています」とされている二つの論文です。*2,*3

ところが、実際に読んでみるとこれらはほとんど関係のない論文なのですね。要するに、30人程度の喫煙者と非喫煙者のグループに30分間「受動喫煙」をさせて、非喫煙者の方の一部で血管が収縮して血流が悪くなったとかいう話にすぎず、それが本当に心臓病の原因になるかどうかは全く明らかになっているわけではないのです。要するに、FCTCの第二回会議が2007年6月ですから、それに合わせるためにいかにもそれらしいデータを急いで準備しただけであるとしか思えません。少なくともこれだけでは何も言っていないような代物なのです。

「受動喫煙に安全量はない」というのは、もし本当ならきわめて強力な主張です。しかし、発ガン物質の発ガン性を量的には記述できないということと、どんなに微量でも危険であるということとは論理的に見て、全く異なることなのです。もしそうなら、A群、もしくはグループ1の発ガン物質はすべて全面使用禁止にしなくてはならないことになる。そして酒も塩魚も摂取禁止にしなくてはならないことになる。極端な禁煙運動を主張している人たちは、自分たちの言っていることがいかに非科学的で、何の科学的根拠にも基づいていないということを自覚しなくてはならないと思います。

それにしても、なぜこれほどまでに非合理的なタバコ排除の衝動が生み出されてくるのでしょうか? 私はこれが単なる政治的陰謀であるとか、自動車会社の陰謀であるとかは全く思いません。そこにはもっと深い理由が隠されているはずです。そしてまた、それが一人の女性政治家の力で世界中に急速に広がって行ったのはなぜなのでしょうか?次回はそんなことを考えてみたいと思っております。


*1 http://www.nosmoke55.jp/data/2007Global_Voices_matuzaki.html

*2 Otsuka R et al, 2001. Acute Effects of Passive Smoking on the Coronary Circulation in Young Healthy Adults. Journal of the American Medical Association, 286: 436-441. Available online
at:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&dopt=AbstractPlus&
list_uids=11466122&query_hl=7&itool=pubmed_docsum
, downloaded on 2 April 2007.

*3 Kato T et al, 2006. Short term passive-smoking causes endothelial dysfunction via oxidative stress in non-smokers. Canadian Journal of Physiology and Pharmacology, 84(5): 523-9. Available online
at:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Retrieve&dopt=AbstractPlus&
list_uids=16902597&query_hl=1&itool=pubmed_docsum
, downloaded on 2 April, 2007.

室井尚(むろい ひさし):横浜国立大学教授、情報哲学者
2007.11.20