禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

「単純思考中毒」の危うさ

先般、某新聞の夕刊コラムに、東京都の老人病専門の偉いお医者さんが「煙草中毒・煙草病の廃絶を」という題で、「煙草中毒や煙草病などのないクリーンな世の中に向けて、もう少しみんなで頑張ろう」という趣旨の寄稿をされていた。

論旨は

  1. 核廃絶は万人の願いだが、核兵器同様人々の健康を確実にむしばむたばこについて「煙草の廃絶を」と言ってもまだまだ十分な理解を得られていない
  2. 国家的政策レベルになると、生活習慣病の予防を目的に健康被害の大きい煙草に関する禁煙目標を盛り込もうとすると、必ず政治的理由によって断念される
  3. その政治的理由は「煙草は個人の権利であり、行政介入は憲法の趣旨からも問題」、「煙草税は国と地方の財政に重要」というものである
  4. だれもが煙草の中毒性と健康被害を知っている。喫煙者は中毒から抜け出せない
  5. 周囲の人にも受動喫煙の害は大きい
  6. 高齢者の健康を研究している立場からしても煙草は百害あって一利なし、喫煙者の生命予後は明らかに悪い
  7. 慢性閉塞性肺疾患(COPD)という呼吸困難が現れ、徐々に窒息死が進むーーというものである。

適当に斜め読みすれば、「またお定まりの医者の煙草有害論か、聞き飽きた」と思いつつも、過激な論だけに「なるほどね」と何となくもっともらしいような気がする方もいるかもしれない。世の煙草嫌いの面々の中には、快哉を叫ぶ向きも多いのではなかろうか。なぜなら、煙草をヘロインやコカインのような麻薬・覚醒剤と同じような世の中の絶対悪と決めつけて、糾弾しておられるからだ。

この偉いお医者さんは、新聞にコラムを書く位だから、善良で人格識見ともに申し分のない立派な方なのだろう。このコラムもご本人は社会啓蒙の狙いを込めて、善意でお書きになったものだろうから、個人に対する誹謗や中傷は愛煙家としての礼儀として慎みたい。

とは言え、拙者のみるところ、この偉いお医者さんは「単純思考病」あるいは「単純思考中毒」に罹患されているのではないかと診断する。それも重篤の中毒患者である。

言うまでもなく、煙草は嗜好品である。嗜好品には酒、コーヒー、茶、ジュースなどがある。ここでは、煙草と並ぶ嗜好品の代表である酒を例に取ろう。酒は適量を嗜めば、ストレスを発散させ、人生を楽しくする素晴らしい効果がある。しかし、大量に酒を飲めば、身体をむしばみ、肝硬変などの命にかかわる病気になる。しかも飲酒運転や酒乱など周囲に及ぼす迷惑も著しい。飲酒運転でどれだけの方々が亡くなっていることか。酒乱でどれだけの家庭が崩壊していることか。

煙草が原因の火事もあるから、簡単には言えないが、一般的には酒の害の方が煙草の害よりも遙かに大きいだろう。さらに言えば、コーヒーや茶に含まれるカフェインも常識外の大量摂取すれば、身体に害があろう。生きていく上で欠かせない砂糖や塩、酢も大量に取れば命にかかわる。
要は、「ほどほどの適量」の問題である。

論旨がいささか先走ってしまったので、話を「煙草と酒」に戻す。
繰り返すが、酒の害の方が煙草の害より大きいのは自明である。
にもかかわらず、何故この偉いお医者さんは、酒は「百害あって一利無し」という言い方で非難の的にしないのか? 
なぜ、煙草だけを絶対悪のように糾弾して目の敵にするのか?
こういうのを片手落ちの議論と言う。

この偉いお医者さんは「酒の害の方は自分の専門分野ではない」という学者によくある逃げ口上で、身をかわすかもしれない。
要するに煙草敵視の時流に阿って、ついつい過激にコラムを書いてしまっただけろうから、特にこのお方に噛みつく必要もないのだが、せっかく偶然、目についたコラムだから、この際に、この偉いお医者さんの物事の考え方の危うさと恐ろしさはきちんと筋道立てて指摘しておく必要がある。

筆誅の矛を大上段に振り上げるが、我慢して読んで欲しい。

物事が極めて複雑に重層的に絡み合った世の中で、ある特定の事柄だけを取り上げて自説を訴える手法がある。「環境保護」、「軍縮」、「人権擁護」などだ。特定の視点に基づいた切り口と考え方だけから、絶対的な「正義」を声高に叫んで、物事を一刀両断する方法だ。その手法に付きものなのが、その事柄の細部を詳述して力説し、時には重要性を誇張して、この問題が一番大切な問題だと訴えることだ。
「環境保護」や「軍縮」、「人権擁護」に正面切って反対する人も誰もいないから、難しいことは考えたくない単純思考の大衆には受ける。

一つのイデオロギーの宣伝や運動方法としては効果が絶大だから、多くの団体がこの手法を採用して、それぞれおのれの正しさを主張している。悪名高きナチスドイツの宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスが、「物事の単純化と誇張」という方法を大衆煽動に使ったことでも有名だ。今でも国際政治や国内政治で、この手法が頻繁に使われていることは、少し最近の歴史を考えてみただけで分かる。

しかし世の中の森羅万象は、複雑極まるものだから、ある一つの視点だけで「正義」を押し通すのは不可能である。普通、ある特定の「正義」には、別の「正義」が立ちはだかる。「環境保護」の前には「経済成長」の正義がすぐに立ちはだかる。「軍縮」の前には、「自国の防衛」という正義が待ったをかける。また「人権擁護」も行き過ぎると、これを利権とする人権屋がはびこり、物事をねじ曲げて異常に窮屈で不公正な社会をもたらす。

要は、煙草に含まれるニコチンやタールの問題だけに着目して、これを誇張して、「煙草中毒」「煙草病」とか言い立てるのは、ナチスと同じ大衆煽動のやり方と同じ手法だということである。

また最近「煙草の害」を言い立てるときに必ず出てくる「慢性閉塞性肺疾患(COPD)」を、この偉いお医者さんもご指摘である。疑問を感じるのはそのCOPDとやらは「自動車の排気ガス」や「工場煤煙」などの大気汚染との因果関係は無く、煙草だけが原因だと強弁されるおつもりなのだろうか?

新聞コラムという限られた行数でのご主張だから、意を尽くせぬところはもちろんあろうが、それならば「煙草中毒」とか「煙草病」とかの誇張が過ぎた悪意表現は避けるのが、良識ある医師の節度ではなかろうか。

この偉いお医者さんは、「煙草は絶対悪」「百害あって一利無し」という単純な視点のみから、煙草撲滅を訴えておられる。煙草に含まれるニコチンの精神ストレス軽減作用や意識覚醒作用の効用を医師として全面否定される訳だが、千歩譲って仮にそうだとして、では人類はなぜ煙草を嗜好品として長い年月、嗜んで愛用してきたのだろうか? 

もしも麻薬や覚醒剤のように、人間を短期間で癈人にするような恐ろしい作用があれば、人類はこれを「毒」として、忌み嫌ったはずである。煙草はかつて「薬」として使用されてきた歴史がある。多少は身体に良くないかもしれないが、酒の害ほどではないだろうと考えて愛用してきたわけだ。ニコチンの依存性はせいぜいコーヒーのカフェイン程度でしかないことが様々な実験で判明している。アルコールの依存性や害に比べたら、軽いものである。アルコール依存性にしても要は程度の問題である。

この偉いお医者さんは大したことはない煙草の害を、極端に誇張して、「喫煙は中毒であり病気であり、煙草は絶対悪」という視点から煙草撲滅が社会の正義として訴えておられる。仮に、もしもそうだとしたら、ではなぜ「煙草の非合法化」を主張しないのか?

麻薬類は「絶対悪」として、非合法化されている。この偉いお医者さんの言うように煙草が地上から消えて無くなるべき「絶対悪」なら、非合法化を主張するのが、筋であろう。

しかし、この偉いお医者さんは非合法化は決して主張せず、肩書きや権威に弱い民衆を煽って「煙草嫌いの雰囲気」を作ろうとするだけである。
実は、この偉いお医者さんをはじめ、煙草を目の敵にする医者の方々は「煙草の害」とやらを誇張して発言していることを内心では分かっているのである。

「煙草の害」は「自動車排気ガスの害」や「工場の煤煙の害」と比較すれば、世の時流に乗っているから攻撃しやすい。「酒の害」を強調しても、世間に無視されるだけだが、「煙草の害」は誇張して言い立てやすい。常識のある大人ならいちいち言挙げするのも面倒なので敢えて反論する者もいないだろうから。

新聞コラムの異様に過激な論調に、つい憤りを感じてしまい、長々と反論を述べたが、この偉いお医者さんの嫌煙論の浅薄さと危うさは、分かって頂けたと思う。

愛煙幸兵衛
2007.04.01