禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記

四月の後半、私はTBSラジオの午後の番組に電話出演した。
荒川強啓というパーソナリティが司会する番組で、ちょうどその日の朝日新聞と読売新聞の朝刊に、たばこを吸っている人の寿命がどうとか、厚生労働省が発表した数字に基づく記事が出たのである。
私は毎日新聞をとっており(その理由は後で述べる)、知らなかったが、電話がかかってきて、これらの記事をファックスされた上で、何かご意見は、と言うから、この数字はインチキであると言った。
そこで、四時半頃に番組で小谷野さんの意見を言ってもらいたいといい、肩書きを何にするかと訊かれたので、「東大非常勤講師、禁煙ファシズムと戦う会代表」にしてもらった。
 さて、四時半に再度ディレクターから電話があり、このままお待ちください、という。
聴いていると番組内容が流れてきて、聴取者の、タバコをやめた、という話を聞いているようだった。
それはまるっきり、タバコをやめて良かったという趣旨のもので、私はいらいらしてきた。むろん、やめたい人がやめるのは自由である。だがこういう風に、好きで吸っている者にまで圧力をかけるのはやめてほしいと思ったからだ。
 さて、私の番が来て、ちゃんと「禁煙ファシズムと戦う会代表」と、荒川が少し変な口調で紹介した。
この肩書、いやそれどころか、そういう会の名前さえ、新聞、テレビ、ラヂオで報道されるのはめったにない。
かろうじて、宮崎哲弥氏が司会を務めるラジオおよびテレビ番組で、私の言いたいことを言わせて貰ったことがあり、朝日新聞紙上で、禁煙ファシズムに反対する旨の、記者によるインタビュー記事が載った程度だ。
 さて、荒川は、「どうですか、ヘビースモーカーの小谷野さんとして、この禁煙ブームは」と言う。
私は、実は自分をヘビースモーカーだとはあまり思っていない。私が吸うのは、日に紙巻四十本程度で、ヘビースモーカーといえば、日に百本くらい吸う人のことだと思っているからだが、まあ、それはいい。
私はすぐ、「ブームではなく、ファシズムです」と返事し、朝日と読売の記事について、それがいかにインチキであり、厚生労働省が国民を欺き続けていると指弾した。荒川の口調にとまどいが見られた。
そして、「でも小谷野さんでも、子供さんが生まれたら、その前でタバコは吸わないでしょう」と問う。
 「いいえ、吸いますよ」と私は答えた。「じゃあ、親がタバコを吸っていたために、子供がどうにかなったという話が、どの程度あるんですか。聞いたことありますか」。
私はさらに、いまJR東日本を提訴中だと話したが、すると荒川は「は? タバコとJRと何の関係が?」と訊くので、JR東日本が新幹線、特急を全面禁煙にしたから、差し止め訴訟をしているのだと説明した。
これも、新聞等は一切報道していない。荒川はダメ押しのように「でも、タバコの煙が嫌だという人の気持は理解しますよね」。
私はあえて「いいえ」と答えた。「どうしてですかぁ」と荒川が、非難するような口調になった。 
私は答えた。「そもそも、タバコの煙が嫌だという人のために、分煙という措置がとられたわけでしょう。それなのに、敷地内全面禁煙とか、路上喫煙禁止とか、新幹線全面禁煙とか、どうしてそういう極端に話を持っていくんですか。そういうファシズムの中で、今さら嫌煙家の気持を考えろって、無理な話でしょう」
 険悪な雰囲気になり、私の話は終わった。
 最後の質問について、私は思い巡らした。たとえばイスラエルの、パレスティナへの攻撃を非難する人に対して、「でも、ヒトラーによって大虐殺に遭ったユダヤ人の気持は分かるでしょう」と言ったり、さらに、そのヒトラーを非難する人に対して、「でも、ユダヤ人の高利貸によってヨーロッパの人々が長いこと苦しめられてきたのは分かるでしょう」と言ったり、それに「質」としては近い質問だ。
確かに「量」は違う。たとえば私は、非常勤講師をしている東大教養学部で、座って喫煙できる場所がほとんどないに等しい。これほどの迫害を受けて、いちいち嫌煙家の気持など考えていられるか。
 私が「禁煙ファシズムと戦う会」と言ったのは、年輩の方は知らないだろうが、ミクシィという、時々新聞ネタになるソーシャル・ネットワーキング・システムの中にあるコミュニティのことで、そう本格的な集団ではない。
私がこれを作ったのは、二〇〇四年の秋のことだから、もう二年半の歴史があり、いま会員は七十数人いる。
「禁煙ファシズム」という言葉を作ったのは、評論家の斎藤貴男氏で、一九九九年に、「禁煙ファシズムの狂気」という文章を雑誌に載せている(現在ちくま文庫『国家に隷従せず』に収められている)。そして私は一昨年、斎藤氏、栗原裕一郎氏との共著で『禁煙ファシズムと戦う』を、ベスト新書から出し、それなりに売れている。
 いま書いたとおりで、私は「分煙」には反対しない。
二〇〇二年五月に健康増進法ができ、その第二十五条で、分煙の配慮義務が謳われた時から、おかしなことに各機関、行政府などは、これを「分煙」ではなく「全面禁煙」にしてしまうようになった。
だいたい健康増進法にしても、「受動喫煙」の害というものが科学的に証明されているかのように書いているが、これはかねがね、疑わしいとされている。
だが、その頃から、「国家総動員法」みたいな事態が広まり、新聞はタバコの害についての記事や投書ばかりを載せて、私たちの言い分を載せないようになった。
私は、毎日毎日繰り返される禁煙ファシズム記事に怒りを発して、それがいちばん少ないとされる毎日新聞に変えたのである。まるで「いじめ」もいいところである。
 何かが、こうヒステリックに叩かれるというのは、スケープゴートである可能性が高い、と養老孟司先生が書いていたが、私は、おそらく「自動車」だろうと思っている。
排気ガスで都会の空気を汚し、事故で多くの人を殺傷する自動車。しかし自動車産業は日本経済の基幹だし、新聞やテレビにとっては大切な広告主だ。
そして禁煙団体には、自動車会社から資金が渡っているという噂もあり、私はこれを何度も書いているが、誰も、そんな事実はないと否定しないのだ。
 そして昨年はじめ、私は国を提訴した。
これは完全敗訴したが、これまたマスコミは一切報道しなかった。
実際には、今の喫煙者いじめは度が過ぎていると思っている人は少なくなく、「禁煙ファシズムと戦う会」にも、喫煙者ではないけれど、今の風潮は危険だと思うと言って入ってくる人もいる。
異論があることさえ隠蔽する、これが本当に恐ろしいことなのだ。

(つづく)
小谷野敦:東京大学非常勤講師
比較文学者
学術博士(東大)
評論家
禁煙ファシズムと戦う会代表
2007.05