禁煙ファシズムにもの申す

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ポケットに煙草(4)―匂いについて(タバコの魅力)―

「煙草」と書けばすぐ「煙」をイメージする人もいようが、タバコ(特にパイプタバコ)の本質はその「匂い」にあるのではないかと思う。


生まれたばかりでまだ目もよく見えない赤ん坊に何種類かの母乳を嗅がせる。すると自分の母親の乳を「嗅ぎ分ける」そうだ。目の前にあるものが何であるかを知ることを「見分ける」というが、それ以前に「嗅ぎ分け」ているのだ。「分ける」ことは「分かる」こと、区別して分明にすること、つまり「知る」ことだ。だから僕は、匂いを「嗅ぎ分ける」ことを「知性の芽生え」といっている。

赤ん坊だけではない。八十歳をだいぶ超えた僕の母は今でも、食べ物がまだ食べられるかどうかの判断を匂いを嗅いでやっている。消費期限なども一応は見ているようだが、期限を過ぎていても嗅いでみて「まだ大丈夫」などといっている。そもそも自分で作った料理にはそんなものは書いてないので、昔から匂いで嗅ぎ分けている。わたしたちも、「料理が焦げてるんじゃないか?」「焦げ臭いぞ! 火事じゃないか?」などという。目の前にないものごと、目では見えないものごとを匂いで判断しているのだ。

「匂い」というものは実に不思議だ。それは目に見えない何かを感じさせる。しかも面白いことに、それがかすかであればあるほど、わたしたちを眼前の世界から抜け出させる。


車過ぎて伽羅の匂ぞ残りける 都大路の春の夜の月 (正岡子規)


女っ気に縁遠い子規のことだから逢瀬を楽しんだ女性ではないだろう。とすれば、人力車だろうか、通り過ぎたあとに残る匂いに見知らぬ女性の存在を感じているのだ。伽羅(きゃら)の匂いを発する対象はもうそこにいない。かすかに残る匂いがその存在を濃密に感じさせる。僕はこれを、かすかな匂いの「暗示する力」といっている。


毎年2月半ばになると、風呂に入っていて「あっ、もうすぐ春だ」と感じる瞬間がかならずある。それは毎年1回だけのことだ。湯気のかすかな匂いのせいだろう、まだ来ない春を予感するのである。季節の変わり目でこういう経験をすることはしばしばある。僕はこれを、かすかな匂いの「予感させる力」といっている。


その春の予感を惹き起こす匂いは記憶にむすびついている。予感される「何か」はまだ来ないもの、未来のものだが、いま感じているその匂いははるか遠い記憶のなかの匂いにむすびついている。かつて子どもの頃に感じた春の到来の記憶から醸し出されているかのようだ。宮澤賢治の詩に登場する「遠いほのかな記憶のなかの花のかをり」がそれだ。僕はこれを、かすかな匂いの「想起させる力」といっている。(プルーストはマドレーヌのかけらが入ったひと匙の紅茶を口にしたときはるかな過去の記憶を喚び覚まされるが、僕は、紅茶の「匂い」が決定的にはたらいているのではないかと思う。)


さてそこで、タバコの本質はその「匂い」にあるのだ、と冒頭でいったことに戻ろう。 このように、「匂い」は目に見えないものごとを分からせ、目の前にない何かを暗示し、記憶のなかにある何かを想起させ、まだ現われない何かを予感させる。総じて、「匂い」はわたしたちを未知なるものへと誘う。わたしたちを眼前の世界から抜け出させはるかなるところへと誘う。そういう意味で、「匂い」は「瞑想的」で「陶酔的」なものだと思う。だからこそ、色々な匂い(タバコも含めて)が、様々な民族の先祖たちを霊的なもの、宗教的なもの、はるかなるものへと誘なったのではなかったか?(僕は「陶酔」と「酩酊」を区別している。「陶酔」は、「酩酊」とちがって見えないものを「観させる」ものだ。)


そう考えるから僕は、タバコの「匂い」もはるかなるものへと誘うのであって、そこにこそタバコの魅力があるのではないかと思うのである。タバコの「匂い」は「瞑想的」で「陶酔的」なものだ、タバコの本質はそこにあるのだ、と考えている。現にタバコは、日常の変哲もない生活のなかにあって、別の時間と空間とへ僕を連れ出す。部屋の中でも、屋外でも、自然の中でも、タバコは僕をどこかはるかなところへと誘う。僕の生活からパイプタバコを切り離せないというのはそういうことだと思っている。


そこに気づかない者はタバコの魅力に一歩たりとも近づけないのではないか。「健康」を至上の価値と考える人は「煙」や「ニコチン」や「タール」とその健康におよぼす影響とばかりを云々する。つまり、物理的・生理的にしかタバコを見ようとしない物質主義者であると思うのだが、残念ながらそういったものにいくら注目しても、「タバコ」の「タ」の字にも触れることはできない、と僕は思う。


そんなわけで、僕はタバコは「瞑想的」で「陶酔的」なものだ、と勝手に思ってパイプタバコを楽しんでいるのである。わたしたち人間が、目の前にあるものに囚われるだけの存在でなく、未知なるもの、はるかなるものへと想いを馳せる存在でもあるとすれば、タバコなるものはきわめて人間的・精神的なものだといえよう。


蛇足だが、パイプタバコのもうひとつのささやかな魅力について触れておこう。それは、自分に合ったブレンドを作れるということでだ。おそらくわが国に入ってくるパイプタバコは現在200種類を超えていると思う。その幾つかをブレンドして自分だけのブレンドを作ることができるのである。


で、ここまでいってしまったので、僕を陶酔的に瞑想へ誘う秘密の(?)ブレンドを紹介してしまおう。ALSBO(SILVER) (オルスボ・シルバー、150g) Captain Black(White)(キャプテン・ブラック・ホワイト、50g) Royal Vintage(Blended Flake)(ロイヤル・ビンテージ・ブレンディッド・フレイク、50g)。(フレイクはよく揉みほぐして。甘めの香りを好む人はキャプテンブラックをもっと増やして。)


みなさんを瞑想へ誘うかどうかはまったく保証できないが、「匂い」の点(「煙」の点ではない!)で周りの人に嫌がられることはないだろう、と僕の経験から保証しよう。

信州煙仙人(哲学者)
2007/12/10