禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1

私は、二〇〇六年一月から、禁煙ファシズムとの戦いとして二度の法廷闘争を行った。

一度目は、衆議院議員・杉村太蔵が、若い人にとってタバコは臭い、汚い、金がかかるの三Kなどと、国会内の禁煙推進の委員会で発言したことに端を発し、またその頃、タクシーを全面禁煙にするようにとの嫌煙家の運転手および乗客の、国とタクシー会社を相手取った訴訟で、請求は退けられたものの、判決文で裁判長が、しかしタクシーは全面禁煙にするのが望ましいとしたことなど、一連の動きに対し、国家賠償法に基づく損害賠償を請求したものである。

もっとも、私の目論見は、少なくとも一度は、禁煙ファシズムに抵抗する声を、法廷であげておくことにあった。

禁煙派である作家・川端裕人の小説『ニコチアナ』(二〇〇一)は、無煙たばこを開発しようとするたばこ会社と、禁煙運動家の葛藤を主題とした冒険小説だが、さすがに、一方的に禁煙派側に肩入れするようなことはしておらず、たばこ発祥の地であるラテンアメリカの神話なども用いた意欲作である。

ただ、決定的なミスは、無煙たばこは、既に一九九七年ごろ「エアーズ」の名で発売されており、しかし売れなかったために販売中止になっている。従って、小説の内容が事実に適合していなかったのだ。

それはともかく、その『ニコチアナ』の中に、嫌煙権などという者は、嫌煙家が裁判所でたばこ会社を訴えた時に生まれたものだ、という文言があった。だから私は、裁判所で喫煙の権利を訴えることで、喫煙権を成立させようとしたのである。

むろん、私は弁護士を探した。しかし、法曹界は禁煙の風潮に覆われており、引き受ける弁護士は見つからず、私は自身のウェブログ上で、本メールアドレスとは別のメールアドレスを公開して弁護士を募集したが、単に長野県の方の禁煙運動家から反論が来ただけだった。

やむなく私はにわか勉強をして、本人訴訟で臨んだが、もとより素人の書いた訴状である。しかも国家賠償法は極めて限定された状況でしか適用されないので、敗訴、控訴したが棄却、さらに上告は受理されなかった。

続けて、二〇〇七年三月、JR東日本が、新幹線や特急を全面禁煙にした。小田急や東武鉄道もこれに倣った。これで私は東北、長野、新潟方面への旅行は断念せざるをえなくなった。

そこで同月、これに対する差止請求を東京簡裁に申し立てたが、被告JR側の要請で、訴訟価額を百九十万円とみなして東京地裁に移送された。JRが雇った弁護士は、企業弁護士として知られる西弁護士事務所であり、主として法廷に現れたのは富沢栄美子である。

JR側が答弁書とともに出してきた書証は甚だしく不備であり、日本循環器学会など九学会連合の禁煙推進委員会から、新幹線の喫煙車両の外での粉塵を測定したところ、厚生労働省が定めた基準値を超えており健康増進法違反であるから、全面禁煙にするよう、との要請があった、とするのだが、これは厚生労働省が定めたものではなく、試案に過ぎないと私は準備書面で答えた。以下、その要望書と、私案である。

http://www.j-circ.or.jp/kinen/request/040531_req_jr/040531_req_jr.htm
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/06/h0607-3.html

また、笑止千万だったのは、小さな新聞記事を書証として出してきたことで、これは、単に道行く人に、禁煙にして欲しい場所を尋ねたら、電車内というのが四位に上がったという、社会調査とはとうてい言えないものだった。

私はむろん、準備書面でこれらを全て論駁した。第二回公判で富沢は、裁判長に向かい、「今日判決が出るものと思っていました。請求権がないし、準備書面は同じことを繰り返しているだけで…」などと言ったが、裁判長は、いや、憲法十三条の中には喫煙する権利も含まれていますから、と答えていた。もっとも、私は楽観はしていなかった。

十二月二十一日、私の全面敗訴の判決が出た。ただし、かつて新幹線に禁煙車がなかった当時、嫌煙団体はこれを求めて何度か提訴しているが、勝訴はしていない。

単に国鉄が自発的に禁煙車を設けただけであり、司法は関与しないという判例通りである。ただ、二度の裁判とも、過度な禁煙を戒める文言を判決文に期待したが、それもなかった。タクシー禁煙訴訟の際にそれがあったことを思えば、禁煙派寄りの判決であり、JR側の書証の不備を考えれば、不当判決と言ってもよい。

判決文は、九学会連合の虚偽だと私が主張したものについて、「原告は、虚偽が含まれているというが、調査内容まで虚偽だとは言っていないから、書証として価値がないとはいえない」という(大意)。おかしな言い分だと思う。また、「生存に影響なし」などとある判決文もおかしなもので、幸福追求権というのは生きてさえいればいいという権利なのか。

とはいえ、控訴しても棄却されるのは目に見えているし、上級審で変な判例を作っても何だから、控訴は断念した。

<続く>

小谷野敦:東京大学非常勤講師
比較文学者
学術博士(東大)
評論家
       禁煙ファシズムと戦う会代表
2008/01/25