禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

「排除の論理」を捨て喫煙者と非喫煙者の共存を急げ!

「嫌煙権」という言葉があった(最近余り聞かれなくなったので敢えて過去形に),1978年(今から30年前)に「嫌煙権確立を目ざす人びとの会」が提唱したのが始まりで,その運動の狙いは「禁煙権運動」と異なり,喫煙者に喫煙を止めさせることを要求するものではなく,公共の場所等において制度的に「受動喫煙防止措置」を講じて,非喫煙者の権利を保護することを目的としていたようだった。

「嫌煙権」という権利は,法的に確立されたものではないが,この運動が広がり,喫煙者と非喫煙者を分ける「分煙」が進んだ。更に2000年3月には「健康日本21」がスタートし更に加速した。2003年には「健康増進法」が施行されるや,「受動喫煙」の害を防ぐとの名目に,「嫌煙権」運動の当初の狙いである「分煙」の枠を越えた,タバコ排斥運動とも思えるような方向に変容を遂げている。その結果,喫煙場所が極端に規制縮小され,挙げ句の果ては撤廃され,喫煙者に対する人格の否定や,差別の助長など,人権に関わる問題も惹起しているのが現状である。

最近,近郊に出来た大型ショッピングモールを覗いてみた,そこには,これまでの常識を覆すように,館内の主要なところには,大きなガラスで仕切られた「喫煙室」が設けられていた。広いスペースが確保され,中には大きな換気装置の付いた吸い殻入れが置かれ,立派な椅子も備え付けられていた。中では数人の男性が美味しそうにタバコをくゆらせていた,「アッシー君」らしき人も,いかにもゆったりとした時間空間を満喫しているようだった。中に入ってみると,よどんだ空気も無く,清潔に保たれ快適だった。ここは「喫煙者」を閉め出すのではなく,どうぞゆっくりとくつろいで下さいと言っているようで,久し振りに気が晴れる思いだった。

このショッピングモールの設計思想は,喫煙者も非喫煙者も一人のお客様として,差別することなく,平等に応対しようとする気持ちの現れで,コミュニティーを重視したものだ。まさに「喫煙者」と「非喫煙者」の共存を願った「分煙」の立派な手本のような気がした。

JRは,健康増進法施行以来,列車の全面禁煙を打ち出し,喫煙者にとっては,鉄道は単なる人を運搬する機能と化し,旅の楽しみを奪っている。 一方,JR東日本管内に,青森県五所川原市と秋田県能代市を結ぶ「五能線」がある。風光明媚な青森県の西海岸と秋田県北西海岸を走るローカル線だ。この路線には「リゾートしらかみ」などの観光列車が走っていて,3両の短い列車編成にも拘わらず,その内の1両には小さいスペースだが喫煙室が設けられていた。大きな窓,ゆったりした座席,ボックス席がある車輌,そして喫煙席もあるこの列車での旅は,延々と続く長い海岸に沿って,奇岩や蒼い海の眺めは心ゆくまで旅が楽しめる。小さくても「喫煙室」が付いているだけで,こんなにも旅の楽しさが違うものかと,つくづく思わされた。

喫煙者を排除しようとする風潮の一方,喫煙者と非喫煙者を同じ人間として平等に扱い,「分煙」の考え方を上手に取り入れて,「共存・共生」可能な方策を取り入れている企業も見受けられていることも事実だ。

要は,行政も,企業も「排除の論理」を捨て,「共存・共生の論理」へと発想を転換し,その為に何が出来るか工夫をすれば,例示したような快適なコミュニティーの実現が可能な事を証明している。

喫煙については,たばこが好きな人は,喫煙による何らかのリスクを認識し,他人に迷惑を掛けないように配慮し,マナーを守って喫煙することは当然のことだし,許されることだ。

一方,近年,タバコ煙の臭いがしただけで「受動喫煙の害」と過剰反応を示し,喫煙を否定する風潮が見られ,マスコミ,行政も世論の流れとばかり,喫煙に対する非難を強めている現実がある。この様な風潮が無批判に進行すれば,これまで述べてきたような喫煙者に対する差別の横行や,人格の否定,協調性の崩壊が進み,殺伐とした社会となってしまう事が危惧される。

住み良い社会,それはお互いを思いやり,理解し合い,温もりのある,人とひととの関わりの中で営まれる社会の実現だと思う。喫煙問題は近視眼的な見方を捨て,社会的共存の実現に向け,冷静に論議されるべきだと考える。

吉田里志
2008/09/16