禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

禁煙法をものともしないインド人のおおらかさ

はじめまして。このたび、このコラムの執筆陣に加えていただくことになりました、フリーライターの藤倉です。これまでカルト宗教などの被害問題やチベット問題を取材しています。

詳細は省きますが、こうしたテーマで取材をしていると「人権」について、いやでも考えさせられます。禁煙ファシズム問題に関心を持ったのも、こうした背景があったからです。この原稿を書くにあたって何人かの知人に「喫煙ファシズムの問題はチベット問題と同じく人権問題だ」と言ってみたところ、笑われました。「たかがタバコで」ということのようです。

確かに、喫煙者がタバコを吸う機会を奪われたところで、死ぬわけではありません。我々が「タバコを吸う自由を!」と叫んでも、禁煙ファシストは我々を逮捕したり拷問したりはしません。チベット本土で「ダライ・ラマに長寿を!」と唱えると中国当局に逮捕され、ときには殺されますが、これに比べれば禁煙強制は大した苦痛ではないかもしれません。

「たかがタバコ」で人権を云々することを笑う感覚は、とても正しいと思います。しかし裏を返せば、「たかがタバコ」だからこそ、路上やタクシー内の一律禁煙化、喫煙者を採用しない企業の登場、差別的増税の推進といった風潮の徹底ぶりは異常であると言えます。副流煙問題も含めてタバコの「害悪」が科学的に立証されていないにも関わらず、本来誰にも干渉される筋合いのない場面ですら喫煙者の選択権を奪うのは、まぎれもなく人権侵害です。

私は今、チベット問題の取材のためインドのダラムサラという町にいます。チベット側特使と中国政府との話し合いが進展しないため、世界中のチベット人たちがここに集まって会議を開き、今後の方針を話し合っています。

インドにも、禁煙ファシズムの波は押し寄せていて、カフェやレストランはテラス席以外は禁煙の場合が多く、メトロの駅など公共の屋内は原則禁煙。罰則付きで路上喫煙を禁じる“禁煙法”もあるようです。

 しかし路上喫煙の規制に限っては、かなりテキトーです。おおらかで逞しいインドの人々は、まるで禁煙法などないかのように自由に喫煙しています。ダラムサラの道端でたむろしているインド人に日本のタバコ事情を話してみました。

──日本のスモーカーには人権がありません。道端でも吸えない。タクシーでも吸えない。

「インドでも、表で吸っていたら逮捕されるよ。でも自分の部屋で吸えば大丈夫だ。200ルピーで売ってやるよ」

──それは大麻の話でしょう。ぼくが言ってるのは普通のタバコの話。日本では普通のタバコを自由に吸えない。

「ダラムサラなら大丈夫! 200ルピーでどうだ?」

──いらないってば。それより、タバコあげるから写真撮らせて。タバコの記事を書くときに「フリーダム・イン・ダラムサラ!」みたいな写真を載せたい。

「うっひょお! そんなことで新聞に載るのか! タバコ、くれくれ。オレの友達にもあげてくれ」

──新聞じゃないけどね。

あまりにおおらかすぎて会話が成立しません。みんなで楽しくタバコを吸って記念写真を撮りましたが、さすがに大麻を勧めてきた男性はフレームに入ってくれませんでした。

インドでは禁煙を制限する法律がありますが、タバコを吸うことに後ろめたさを感じません。誰もが堂々と吸っています。シガレットのパッケージには「喫煙は健康にとって有害です」という法定表示がありますが、タバコを吸っているのを見て「体に悪いよ」なんて口出ししてくる人はいません。

これに比べると日本の状況は、やはり異常です。喫煙者が不当な規制におとなしく従いすぎている面もあるのでしょう。この違いについて「日本はインドより先進国だから」という言い分もあるかもしれませんが、だとしたら「先進国」とは「異常な国」のことなのでしょうか。インドへの亡命も考えたくなりますが、今回のところはチベット人会議の取材が終わり次第、帰国する予定です。まずは日本の喫煙者の人権を取り戻すために、微力ながら日本の禁煙ファシズム問題を取材していきたいと思います。

フリーライター 藤倉善郎
2008/12/01