禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

子供の健全教育って?  ―最終回―
<承前>

馬鹿げた堂堂巡りの応酬が延々と続きます。

「話を元に戻しましょう。私はそういうことを伺っている訳ではありません。私が伺っているのは、校庭で私がパイプタバコを吸っていることが子供にとって良くないとあなたはおっしゃる。一体全体、何が良くないのですか?」

「タバコは全部良くない。社会から追放すべき害悪です。あなたが学校の敷地内でタバコを吸うのは、子供に悪影響を及ぼすということです」

「おやおや、おかしなことをまた言い出しましたね。校庭や通路で私がパイプ煙草を吸っても、今日は、土曜日だし授業参観中で、校庭や通路には子供は誰もいない。この小学校の児童が私のパイプ煙草の煙を吸う可能性は皆無ですよね。それとも可能性はありますか?」

「確かに今は子供たちが、あなたのタバコの煙を吸う可能性はありませんが、平日は吸う可能性があるかもしれません」

「主任さん。あなたは言い逃ればかりおっしゃいますね。私は、今、を聞いております。児童が校庭で体育をしたり、遊んでいる平日のことを伺っている訳ではありません。今、はありませんよね。 それともありますか? どちらか、はっきり答えてください」

「ありません」渋々といった表情です。

「じゃあ、伺いますが、今、この校庭で私がパイプタバコを吸って、何が悪いんですか? どうして吸うなと執拗に迫るのですか? 強制では無いと口先では良いながら、強制しているではありませんか。論旨が破綻しておりますな。まるで筋道が通らない」
「あなたこそ屁理屈を言っておられる。タバコは子供たちに悪いものだから、学校内では吸うのを止めて下さいとお願いしているのです。ルールで決まっているのです」主任さんはまた次第に気色ばんできました。

「私は、校舎の中でも吸わせてもらう、とは言っておりませんよ。校舎の外、校庭や通路でも学校敷地内ということで一律に禁煙をルールとやらで強制するのは、行き過ぎだと申しているのです。まして部外者にまで強制するのは二重の行き過ぎでしょう。こんな簡単なことが、わかりませんか?」

「タバコは子供に悪いから、学校内では吸わないで頂きたい、校舎の中は当然ですが、校舎の外でも、つまり学校敷地内では一切吸って欲しくないので、お願いしているのです」

「いや、あなたはお願いだと言いながら、理不尽にも私に執拗に強制している。あなたはお願いと強制の区別がつかないのですか? そんなことで児童を果たしてきちんと教育指導できるのですか? おまけにこの若者は棒を握り締めて離さない。暴力で私を威嚇しようとしている」

「保護者の方を威嚇するなど滅相も無い。○○君が棒を持っているのは、大阪の例の池田小学校の忌まわしい事件があったので、万一に備えてということで、お気を悪くしないで頂きたい」

「わかりました。それでは、棒の件は不問に付しましょう。では、君、その棒は棄て給え」

若造の教員君は握り締めて話しません。私をさも凶悪犯のように睨み付けております。

「おやおや、この若者は私を凶暴な変質者のように考えているようですな。私は素手で、ご覧の通り、授業参観に来ただけで凶器は何も持っておりませんよ。君が棒を持って私を威嚇するなら、不問に付す訳には参りませんな」拙者もちょっと凄んでみせました。

主任氏が若者の方を振り返って「○○先生。もう君はいいから、職員室に戻りなさい。後は私に任せて」と指示しました。

「でも…」と躊躇っていた若者は、主任氏が重ねて指示すると「はい」と頷いて戻っていきました。なかなか聞き分けの良い若者です。オヤジ狩りの標的になりやすい拙者にもこういうボディーガードが欲しいところです。こういう純朴な日本の良き若者が、左翼のモグラに中枢まで浸透されてしまった文部科学省及び札付きの左翼系教員組合連中の忌まわしき考え方にいつの間にか染まってしまうのはまことに残念なことです。

「話を元に戻しましょう。あなたはタバコが子供にとって悪い、無条件に悪いんだとおっしゃいましたが、それでは伺います。家庭で保護者がタバコを吸うのは、子供の教育にとって悪いことなのですか?」

「……。良いこととは言えません」主任さん、少し考えました。

「ほう、そうですか。これは驚いた。私はそんなことまで学校の教育指導担当の教員に言われる筋は無いと考えますが、それではあなたの学校の嫌煙・禁煙強制の教育指導方針とやらに従って、家庭での保護者の喫煙を、禁止されては如何ですか? それもあなた方独自の言葉の使い方である『お願い』とやらで、しつこく強制強要したらどうですか」

「保護者の方がご家庭でタバコを吸うのは不健全です。子供たちの教育にとって甚だ良くないことです。ただご家庭での喫煙を止めるようにお願いするつもりは今のところありません」

「今のところ無いということは、いずれはこの学校が家庭内での禁煙を『お願い』することもあるということですか?」

「社会のコンセンサスが得られたら、家庭での喫煙も禁止してしかるべきだと考えます。タバコは良くないからみんなで禁煙しようということは、世界の流れではありませんか」

「いいえ違います。タバコ嫌いのあなたのような硬直的且つ原理主義的思考の持ち主が、勝手に決め付けているだけです。そうした声高で原理主義的な暴論にオツムの足りない連中が付和雷同しているだけです。個人の嗜好であるタバコを、あなたの個人の粗末な独断と偏見でとやかくいわれる筋合いはありません。個人の自由を土足で踏みにじっても、あなたは平気なのですか? あなたは、そういう教育指導を児童にしているのですか?」

 「喫煙者は、タバコが嫌いな人に配慮して頂きたいということです」

 「あなたに言われなくとも、私はきちんと配慮しております。そういうあなたこそタバコが好きな喫煙者への配慮がひとかけらもなく、理不尽かつ強圧的に禁煙を強制しているではありませんか」

「喫煙者は加害者で、非喫煙者は被害者です。喫煙者の吸うタバコの煙を吸うのは非喫煙者にとって迷惑であり、苦痛です」

「だからきちんと分煙しましょうということでしょう」

「分煙では完全にタバコの煙を排除できません」

「人間が営む社会である以上、世の中には完全にや、完璧にということはありえないのです。いやしくも大人なら、その程度の智慧や分別は持ってしかるべきでしょう。喫煙者と非喫煙者が折り合って、分煙でお互いに棲み分けできるようにするのが、理性を備えた大人の分別ではありませんか。それを全面的に禁煙を強制し、タバコを撲滅しようというのは狂信カルト信者とも言うべき発想です。あなたは教員の立場を悪用して、まさか児童にそういう思想教育、カルト教育をしているんじゃないでしょうな」

「加害者である喫煙者は、非喫煙者に迷惑をかけるタバコを止めるべきです」

まるで平行線です。西欧の宗教戦争が果てしない殺戮戦争になったことが良くわかります。
「私は、合理性のあるルールにはきちんと従います。それが共同体である社会の一員である以上、守るべき当然の規範です。しかし、合理性のない、一方的で無茶なルールとやらを押し付けられても断固として拒否します。あなたの言っているルールとやらは、まるで合理性がない。しかもタバコ嫌いの狂信者の発想に基づく押し付けだ。
他人に強制するルールをつくるには、誰しも納得する正統性と合理性が必要です。この女教員さんは職員会議で決めたからルールだなどと無茶苦茶なことをおっしゃったから、私は一蹴して相手にしませんでした。学校の敷地全体を禁煙にするとかいうルールのどこに正統性と合理性があるのですか? 校舎の中と屋外は条件が同じだと言うわけですか? あなたの言うお願いとやらは、無理強いの強制であり、論理破綻のシロモノですから、お断りします」

「敷地全体を禁煙にということでルールを作ったのは、子供の健全教育の見地からです」

「ほう、健全教育ね。すると家庭で親がタバコを吸うのは健全ではないとおっしゃるのですか?」

「家庭教育の問題ではありますが、それはやはり健全ではありません。子供にとって悪いことです」

「何が健全ではないのですか? 親が自宅でタバコを吸うのは不健全だとおっしゃるが、そんなことは各家庭の勝手でしょうが。違いますか?」

「私は教育者の信念として、タバコは良くないと考えています。学校では当然、吸って頂きたくないし、ご自宅でも出来れば保護者の方は吸って欲しくない」

「余計なお世話です。あなたごときに他人の家のことについて健全、不健全を云々して頂かなくて結構です。あなたは一部の医者やマスコミの宣伝を間に受けて、タバコを全面否定する狂信的な考えをお持ちのようです。あなたが教育者を自称して歪んで狂った信念を児童にまで押し付けるのは甚だしい害になります。あなたのおっしゃっておられることはまるで嫌煙教カルト集団の教祖みたいな考えです。わが日本国はありがたいことに自由と民主政治の国ですよ。個人の趣味趣向は公序良俗に反せず、他人に迷惑を掛けない限り、自由です。二十歳以上の大人だったら、他人に迷惑を掛けない限り自由に堂々とタバコを吸って何も問題ないはずだ。あなたごときに、とやかく言われる筋合いはまったく無い。あなたは左翼教員組合の連中が愛してやまない北朝鮮にでも行って、偉大なる金小日将軍様の先軍思想でも流布した方がお似合いですな。それとも異教徒の抹殺を目論む先鋭的なイスラム原理主義者にでもなったら如何ですか? あるいは嫌煙オウム教の信者にでもなって、喫煙者の殺害を目指すとか。思考の硬直性の点で、あなたにピッタリお似合いですよ」つい、口が滑りました。反省反省。

まともな議論や会話の成立しない嫌煙カルト信者を相手に、延々とやりあっている内に、授業参観の時間がどんどん過ぎてしまいそうです。薄ら馬鹿を相手にするのが馬鹿馬鹿しくなって、会話を打ち切り、「では授業参観に参りますので、失礼」とだけ言って教室に向かいました。巨体で立ち塞がって、通せんぼした女教師さんもさすがに追いかけてまで通せんぼはしませんでした。

人類は、考え方の違う相手の頭を棍棒で叩き割る代わりに、近代国家を発展させて、話し合いと選挙で物事を解決しようと努めて参りました。しかし、タバコを巡る攻防はどうも嫌煙狂信の徒がのさばり、中世の異端審問そっくりの様相を示しております。オウム嫌煙教信者と議論しても時間の無駄です。
拙者は武闘派愛煙家として、これからは嫌煙オウム教信者からの攻撃に対する自衛のために、やはり棍棒が必要になる時代が既に来ているのかもしれないと考えるようになりました。
結論がとんでもなく飛躍しすぎたようです。

拙宅は甚だ出来の悪い子供ですが、中学からはおかしな教員がたむろする公立学校は回避し、まともな私立学校に無理してでも通わせなくては、と考えております。
これが、今回の詰まらぬ騒動話の教訓です。

(愛読者の皆様、半年間に亘る駄文の連載にお付き合い下さり、心から感謝しております。拙者、愛煙先生のご指導の下、武闘派として今後も狂信的な嫌煙カルト信者の連中との闘いに精進して参る所存です。闘って闘って、闘い抜きますので、ご支援の程、切に御願い申しあげて筆を擱きます。)

愛煙幸兵衛一番弟子
2008/12/13