禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

「嫌煙家」? 一体それは何?
藍沢 秀一郎

最近、無学ゆえか無教養ゆえか知らぬが、奇怪な言葉遣いをする輩が目立つ。腹立たしい。

甚だしく不愉快なのは「嫌煙家」とかいう奇怪な造語を名乗る連中である。

先日の統一地方選でも、「嫌煙家」を名乗る無学な若造が身の程知らずにも市議選に立候補し、僅かな票しか獲れずに落選、供託金を没収されていた。「泡沫」以下。

嫌煙というのは煙草の煙が嫌いということで、車の排気ガスは平気らしい。

煙草の煙が嫌いというのはその御仁の自由であり、勝手だが、何も「家」を付けて名乗る程のことでもあるまい。

人口に膾炙した「愛煙家」という言葉に対抗して遣っているつもりなのか。

「○○家」の遣い方は大辞泉に拠ると、次の通り。

[接尾]名詞に付く。

@ そのことに従事している人であることを表す。「咄―」「革命―」「芸術―」

A そうした性向の強い人、また、そういう状態にいる人であることを表す。「愛妻―」「情熱―」「努力―」「好事―」「財産―」

Aは辞書のやや説明不足。主に肯定的な意味合いで遣う。「無気力者」とは云うが「無気力家」とは言わぬ。「無産―」「吝嗇―」「放蕩―」「男色―」のような否定的な意味合いでは遣わない。「倹約―」「漁色―」「発展―」など聊か揶揄、諧謔を込めた遣い方あたり迄が限度だろう。

嫌煙というのは単に煙草の煙が嫌いと言うだけ。歯に衣着せずに言えば有象無象の偏癖に過ぎぬ。肯定的な意味合いはおよそ無い。

「嫌煙家」と名乗る輩は、煙草の煙嫌いの程度が耐え切れないほど甚だしく酷いのだと強調することで、何やら積極的な意味合いを込めているつもりなのかもしれぬが、はしなくも無教養を自ら吹聴している訳だ。あるいは一種の病気自慢なのかも。

「煙草嫌い」とか「嫌煙者」とでも素直に言えば、まだ可愛いのに。

無理な造語はしないこと。無教養は哀しいね。

2011/07/12