パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

関口一郎 パイプと吾が人生を語る −1−

日本のパイプスモーカーの最長老である関口一郎氏が、今年、平成24年5月26日に満98歳の誕生日を迎えられました。関口氏は東京・銀座を拠点に活動している日本パイプスモーカーズクラブ(JPSC、昭和42年創立、会員数約70名)の創立メンバーであり現在、代表世話人です。毎月第三火曜日の例会ではいつも矍鑠たるお姿で若い会員と一緒にロングスモーキングに挑戦しておられます。関口氏は昭和48年の第2回全日本パイプスモーキング選手権大会のチャンピオンでもあります。JPSCでは、関口氏の白寿〔数え99歳〕とJPSC創設45周年を盛大に祝う会を今秋、予定していますが、それに先駆けて関口氏の80年間に及ぶパイプスモーカー人生をインタビューで綴ることにしました。


 

――数年前のJPSCの青梅旅行会の際に、関口さんから関東大震災(1923年、大正12年9月1日)の際の思い出話を色々と伺って、実に興味深かったのですが。今では関東大震災のことをご自身の経験として語れる方も少ないでしょうから、まずその話からお願いします。

浅草で大震災に遭ってね。9歳の時だった。昔のことだから細かいことは覚えていないが、9月1日のその日は学校の始業式の日で、朝から雨が降っていた。始業式の日だから授業は無い。下校して、僕はその時、小学校の同級生の小林芳之君の家の源光寺に遊びに行っていて、寺の本堂にいた。昼前には雨が上がっていたね。

揺れ始めたのは午前11時58分。揺れる前にゴーという大きな音が、南か東の方角から聞こえてきて、それから揺れ始めた。揺れは10分間位続いたかな。揺すられているときに、本堂の大きな壁が外れて、僕の方に倒れてきて、僕は壁の下敷きになった。土壁だから、かなりの重量だったことを覚えています。

無我夢中で這い出しました。僕は高下駄をはいていたが、お寺の参門の屋根瓦が地面にごっそり落ちて山積みになっていた。それを高下駄で飛び越えて、浅草の家に逃げ帰りました。その時の家の中の様子はあまり記憶がありません。

僕の家は日本家屋の2階建てだったが、幸い潰れなかった。大地震だからと言って、そんなに皆、慌てていなかったね。皆で後片付けをしていた。そうしたらあちこちで火事になった。昔だから、昼の炊事をしている最中に地震が起きたからね。当時はガスの家もあったが、ほとんどの家はマキを使って炊事していた。だからあちこちから煙が出始めたわけだ。僕の家の2階から、いろんな所から煙が上がっているのが見えた。

それ火事だ、どうせ火が回って家も焼けてくるだろうから、逃げようということで、逃げ支度に箪笥や家財道具を大八車に積んで、家族全員で上野の山に避難した。僕の家には大八車が何台もあったからね。その時も、津波が来るというから、上野の山なら大丈夫だろうということだった。祖父さん、祖母さん、両親、兄弟姉妹が僕も入れて5人。それに若い衆も入れて全部で20人くらいでした。

当時は省線(今のJR)の山手線が環状線につながっていない時で、山手線も東北線も上野止まりでした。秋葉原方面には貨物線が一本あるだけ。貨物列車が通る時には、交通止めだったね。上野の山の下の線路が何本も走っている外側にどぶ川がありましたが、家財道具一式を積んだ大八車をそのどぶ川の際に置いておきました。

上野の帝室博物館(現在、東京国立博物館)の近所の黒門は、下にあったのを移したものだが、その辺の山の際に野宿して3日間いました。消火の手段が無いから、次から次に家に類焼して燃え移った。上野の山から昼も夜も火事が見えたね。

〔続く〕

(平成24年5月吉日、東京・東銀座 カフェジュリエで)

日本パイプスモーカーズクラブ