パイプの愉しみ方

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「50にして煙を知る」 第38回 「もう一人の太郎さんと葉巻」

千葉科学大薬学部教授  小枝義人

政界には麻生太郎さんだけでなく、河野太郎さんという代議士がいる。河野洋平元衆院議長の息子さんで、選挙区は麻生さんの祖父・吉田茂の住んでいた神奈川県・大磯、平塚、茅ヶ崎である。

洋平さんと麻生さんが同じ河野グループで非常に仲がよく、自然に両太郎氏も仲がいい。

でも太郎さんは麻生さんが総裁選に出ても、かまわず自分も総裁選に出る人だから、従来の自民党の枠には、はまらない人だ。

選挙はめっぽうつよい。年末の総選挙では19万票以上獲得し、全国300小選挙区で、堂々首位。

また05年夏の小泉郵政改革選挙でも、18万票以上を取り、小泉首相に次いで、全国2位だった。コンスタントに10万票を軽く超える。政策も選挙も手を抜かないし、気取ったところもない。平塚を朝6時の東海道線に乗り、地下鉄・丸の内線で国会議事堂の事務所に行き、そのまま徒歩で自民党本部の朝の政調部会に出席する。初当選時、「世襲についてどう思われますか」という問いでの答えは「それがどうしたんですか」だった。

もう30年以上前、新自由クラブ時代、駆け出し記者で洋平さんを追っかけていたから、中学生か高校生だった若き日の太郎さんを知っている。えらく長い付き合いだ。

1月下旬の朝、突然私の電話がなった。「おはようございます。河野太郎です。小枝さん、葉巻もらってきましたから、お暇なとき、議員会館に取りにお出でください。じゃあ今年もよろしくお願いします」―そうだ、総選挙もあったが、今年初めての会話だった。「いや恐縮です。今年もよろしくお願いします」。

この葉巻とは皇室恩賜の菊の御紋の葉巻である。

数年前、彼のメルマガ「ごまめの歯ぎしり」を読んでいたら、新年の皇室行事鴨猟に招待された話が載っていた。その最後に「菊の印の葉巻と三笠をお土産にもらって帰る」と書いてあった。

「菊印の葉巻」、これは気になったので、「代議士、それ、まだ持っていたら、もらえませんかね」とお願いしたら、次に会ったとき、忘れずにもってきてくれた。長らく私の葉巻ケースの中でお宝にしていたが、それを見た仲間がうらやましがるので、進呈することになった。皇室行事があれば、いつも議員にはお土産に出るものだろう。また頼めば手に入るだろうと甘く考えていた。

ところがいつでも出るものでもないようだ。皇居での元旦の儀などでのお土産にも含まれてもいなさそうだ。

手元にないと、気になる。一昨年秋、たまたま議員会館の喫茶店で、本を読んでいた太郎代議士を出くわし、改めてお願いした。「うーん、どうかなあ。またお正月に行事があって、いただけたら、さしあげます」と引き取ってくれたが、

ちょっと無理だろうな、とあきらめ、そのまま忘れていた。

年越し後の1月中旬だった。私の携帯に太郎代議士の秘書氏から「小枝さん、代議士がね。『これ、小枝さんに渡しておいて』といわれた菊の葉巻、預かってますから、いつでも取りに来てください」と意外な答え。

恐縮しながら、会館事務室を訪れ、いただいた葉巻は大事にボックスの中に鎮座している。

それから一年、太郎代議士は私の嗜好を忘れずに、また葉巻をプレゼントしてくれた。

1月11日付太郎代議士のメルマガに、「鴨猟と菊のご紋葉巻」が記されているが、これが実に面白い。全文引用なら可とあるので、そのまま引用・紹介する。

―天皇陛下の思召により、宮内庁が持っている鴨場の一つ、埼玉県の埼玉鴨場にお伺いしました。

数ある宮中行事のなかで、私が最も楽しみにしているのが、この1月の鴨猟です。この鴨猟というのは、あまり世に知られていませんが、非常に興味深い伝統行事です。国会議員がお招きいただく宮内庁行事の中で、もっともエキサイティングなものといえます。

毎年十一月から二月の猟期に、宮内庁は、内閣、衆議院議員、参議院議員、最高裁判所、それに各国外交団を六回に分け都合十回ほどの鴨猟を催します。

鴨場に朝十時集合です。鴨場につきますと、まず、サイズの合う長靴を選び、薄いレインコートのようなコートと帽子と軍手をお借りします。

しばし、オレンジジュースを飲んで(飲める人はシェリーなどのお酒)、輪投げなどをしながら全員集合するのをお庭で待ちます。何で輪投げなのかはわかりません。寒いので炭火がたかれています。

全員そろうと、部屋に入り、鴨の捕り方というビデオを見て、鴨の捕り方を勉強します。紀子様が網を振っているところも写っています。それから班分けをします。

さて網という絹糸に柿の渋を塗った虫取り網の大型判のようなものを一人一本もって、式部官の引率のもと、十人一斑で出動です。

江戸時代までは鴨の捕獲は鷹を放って行っていましたが、明治になってから、鴨を傷つけない叉手網(さであみ)をつかう鴨猟が考案され、今日に至っています。

この猟は、鷹匠が、夏の間にあひるをよく訓練するところからはじまります。ちなみにこの鷹匠と長良川の鵜匠は国家公務員です。鵜匠は、代々親から子へ引き継がれますが、鷹匠は興味のある人を時々採用するそうです。

鴨場の真ん中には「元溜」と呼ばれる大きな池があり、三千羽ぐらいの鴨がシベリアから渡ってきます。鴨場の池から、「引堀」という細い堀が15本掘られています。この堀は、幅一メートル弱、長さ十メートルぐらいです。

堀ごとに番木があって、それをカンカンと鳴らすとならされたアヒルが池から掘に泳いできます。鴨は、このおとりのアヒルにくっついて、堀に入ってきます。そこで、鷹匠がさっと餌をまき、堀の奥に誘導します。大体一つの堀に二十羽ちかい鴨が入ります。

鴨が十分堀に入ると、堀の入り口を閉め、待機していた捕獲者が網を持って土手に上ります。

この堀は、幅が狭く、堀の土手は垂直につくられていて、二メートルぐらいの高さがあります。堀に入ってきた鴨は、人が来ると驚いて、飛び上がろうとしますが、堀の幅が狭く、土手が垂直にできているため、羽根をばたばたさせながら、ヘリコプターのように垂直に飛び上がろうとします。そこをさで網を振って、飛んでいるチョウチョウを捕まえるような感覚で、鴨を捕っていくわけです。

私は、今回、七本の堀で、0、1、1、1、1、1、0の合計五羽つかまえました。一羽捕まえると、網を後ろに待機している人にさっと渡し、次の網をもらい、堀に残っている鴨をねらいます。おとりのアヒルは

捕まえた鴨は、羽根を交差して、頭をそこにつっこむ(これが羽交い締め)と、全く動かなくなります。
これを最後にリヤカーで集め、計測して足輪をつけ、放鳥します。 その後、鴨場で繁殖している合鴨をごちそうになります。かつては、取った鴨を食べていたそうですが、動物愛護のため、三十年ぐらい前から食べるための合鴨を養殖するようになったそうです。

けんちん汁、ほうれん草のお浸し、ウナギと銀杏入りの茶碗蒸し、香の物、白身魚のフライ(かつては小魚の酢漬け)、それに合鴨とネギを炭火で焼いて、大根おろしをつけて食べます。

お代わりはいくらでもというかんじです。飲み物はビール、日本酒、お水です。みかんが食後のデザートに出ます。

菊のご紋の入った三笠山などのお菓子と菊のご紋の葉巻をいただいて、解散です。たいてい食べ過ぎます。

外交団も楽しみにされているようです。外交団の時は、皇族の方々も
ご接待に出られるようです。参加した国会議員の最先任のものが皇居にお礼の記帳にお伺いします―。ここまで引用

さて、この菊のご紋の葉巻だが、煙草にくわしい仲間に聞くと、皇室用達の葉巻は国産葉煙草で造られており、ハバナ産など外国種に比べれば、やや粘り気があるそうだ。葉タバコ生産は他の穀物同様、アメリカのような大規模方式栽培が適しているそうだ。
狭い土地で肥料を入れて作ると、どうしても栄養がよすぎて、煙草が粘っこくなり、自然の風味が落ちるようだ。

まあ、吸うわけではないので、たまに見て、感激するだけですがね。ありがとうございました太郎さん。