パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

紫煙の行方4

岡山パイプクラブ会長 医学博士 砂山有生

ではどうして煙草は皆に嫌われるようになったのでしょうか?

少し私なりの煙草に対する考えを考察してみます。

遠い昔、かの仁徳天皇が小高い丘より集落を見渡すと、食事を作るため各家からは煙が立ち上り、民衆は皆豊かに暮らしていると感動して和歌を詠んでおられます。

ですから、煙は生活水準の一つのバロメーターであったと考えても良いでしょう。

戦前生まれの年配の方々は覚えがあると思いますが、日本人はおくどさんでご飯を炊き、囲炉裏を囲んで薪をくべて、蚊がくれば蚊取線香を燃やし、停電の時には蝋燭に火を着け、祭りといえば松明を焚き、煙とともに生活していました。

ところが、戦後になって電化が進み、ご飯は炊飯器、囲炉裏は無くなり、薪も必要なくなり、周りを見渡しても煙の立つものは何一つ有りません。 その中で生まれ育った人々は、煙が目に入れば煙たいし、息をすれば苦しいし、何と煩わしいことでしょう。煙は嫌われ、煙文化は時代の流れに沿って滅びてしまったのです 。

その上、タールには発癌性があると報告されて、マスコミは大々的に煙草にはタールが沢山含まれていると書き立て、煙草が体に悪いと言う説が勢いをまし、そのうちに、いよいよ禁煙運動が始まりました。

日本専売公社、日本たばこ産業(JT)はタールの少ない煙草の開発に精を出すようになりました。こうした事情は皆さんもご存じのとおりです。

その結果、煙草の美味しさ、香り、こく、これらはみな犠牲になってしまいました。

シガレットをお吸いになっておられる方々は、本来の煙草の味わいや良さをご存知無く、ただ、習慣的に吸っておられるものと私は思っています。中にはリラックスのため感情高揚や神経集中のための方もいらっしゃると思いますが、 煙草の成分に限らず、巻き紙のなかの成分にも発癌性物質があるとの研究報告が出て、益々煙草に対する風当たりが強くなりました。

そこへあの有名な故平山 雄博士の疫学的調査による平山学説が登場しました。一度は国際学会で否定されましたが、いつのまにかそれが常識のようになってしまい、更に副流煙により癌の発生が増加するというまことに怪しげな説まで出てきて、「受動喫煙」という概念にまで行き着きました。

科学的根拠は薄弱で、怪しい説ですが、マスコミの大宣伝で、今では当たり前のように思われてしまっています。

煙草の煙は、我々,愛煙家にとっては香りが良いと思っていても、禁煙派の方にとっては鼻持ちならない臭い存在なのです。

厚化粧をしたおばさん族が、ご自身の振り撒くようにつけている香水の臭いには無頓着なくせに,煙草をみれば眉をひそめ,パイプ煙草を吸っている我々愛煙家を、さも汚いものを見るかのような態度を示されることがありますが、これには反発を覚えるとともに失望いたします。

10年ほど前に、受動喫煙は肺癌とはほとんど無関係という報告が世界保健機関(WH0)の付属研究機関より発表されました。

とはいえ、間違った学説でも一度、世間に広がってしまうと、これを打ち消すのは容易なことではありません。

科学的におかしな、間違った学説が、いつの間にやら「世間の常識」となってしまって、それを根拠に禁煙運動や嫌煙活動が展開され、情けないことに厚生労働省もそのお先棒を担いでいるというのが世界の現状と言って良いと思います。

「一犬 虚に吠え、万犬 その声に吠ゆ」とかいう諺があったかと思います。今の世間の状況を鑑みて、この諺に全てが尽きていると思う次第です。