大会参加記
行った、喫った、取った −ケルン世界選手権報告− |
ケルンの空は青い。街路樹のプラタナスはかすかに色付き始め、町の屋台にはなんと柿の実が並んでいる。日本の秋と変わらない景色に心も和み、飛行機の旅の疲れで眠くなってくる。町の其処此処には中世ヨーロッパの面影が残るが、街を行くのはアジア、中東と思われる人々が大半である。何を間違えたのか旅行者の自分に道を聞く粗忽者までいる。日中の気温も日本とさほど変わらないが、湿度は低いようだ。競技時にタバコの葉を砕く大きさに注意が肝要だろうと心を引き締める。選手権の行事には間があるので、有名なケルンの大聖堂を見物した。スカイツリーよりは低いが、見上げるとその迫力に圧倒される。積み上げられた石に黒い古い物と白い新しいものが混在するのは、空襲による倒壊、そしてその後の補修によるらしい。ボウル内のタバコの詰め方に通ずるものがないかと注視していたら首が痛くなってきた。 競技会場は投宿するホテルから歩いて行けるのだが、街路が直角に交わっていない上に五叉路があり、筋を間違えるととんでもない所に出るのは、喫煙末期の火の行方と同じである。会場の建物は往時の有力者の邸宅を結婚式等のパーティ目的に改装したもので、立派な門の奥に中庭がありそれを囲んで両翼を持つ石造の建物がある。競技は右翼の2階、ダンスパーティを開くようなホールで行われる。階下の部屋部屋では前日からパイプショーが開催され、世界中のスモーカーで賑わっている。 前日の夜は、競技会場のホールで円卓を囲み、ガラ・パーティが催された。400人近い人数が入るとさしもの大ホールも若干手狭である。ビュッフェの行列は絶えることがなく、その間をドリンクの注文・サービスが歩きまわるので喧騒の極みである。日本人参加者も集まって気勢を上げる。室温は上がる一方で翌日の着衣は、温度調節可能な格好でと心に決める。 競技当日、着火は午後2時半だが午前中からコンペティターが相手を値踏みするような目で中庭に屯している。これは会場の扉が開始直前まで開けられないためなのだが、各国のスモーカーが交流を図るにも有益である。開扉により競技場に入ると、前夜とは変わって長机に10人の競技者が対面し、端に審判が座る配置である。席配置も名前のアルファベット順で、各国の選手達が入り交じっている。早速、隣のオレンジのナショナルカラー・ベストを着用したオランダ人に、敷紙の国籍“NL”を指し示して“ニュージーランドからか?”と尋ね、心理的動揺を与える。彼は卓では3番目の成績だったが1時間を越えず消えて作戦が功を奏したかもしれない。着火に先立ち、1本のマッチの薬部分が小さいと交換を要求し、此処でも手慣れた風を演出する。対面のイタリア人は、敷紙の4隅を折って箱状にしタバコの葉を両掌で揉むようにして粉砕、細かい粉にする作業に余念がない。 いよいよ着火で競技開始。イタリアはタンパーを使う時だけパイプを口に持って行くが咥え続けることはない。ボウルの上から火を眺めて眉を寄せ、人生に疲れたような顔をしてため息を着いている。そしてタンパーの先をこすり続けていっぱいに灰の跡がついた紙を変えろと審判に要求する。そこで審判が予備の紙をちゃんと所持しているのには感心させられた。自分も暇なので敷紙にタンパーを押し当ててマーキング、他の卓ではタンパーを叩きつける甲高い音がするが、この卓はこするだけである。残るは件のイタリアと自分だけ、80分を超えた当りで煙道の通りが悪くなり、強めに吹くと灰神楽となり終了、初の海外遠征ということで火を強めにしていたので已むを得ないだろう。順位は30人ぐらい残っているかというところ、中庭に降りて競技の終了を待つ。残りが20人ぐらいで消えた者の記録が中庭に設置されたディスプレイに表示されるようになった。日本チームも1人残っていて健闘している。結果は3人の記録を合わせて301分とまあまあ、国別で3位に入ることができた。 最後に、参加にあたりお世話になった関係各位にお礼を申し上げます。 主な記録は以下の通りです 個人戦 出場者 340名 レディース戦 出場者 34名 団体戦 出場チーム 18チーム (登録5名の内上位3名の記録) 【筆者注】去る10月12日、ドイツ・ケルンで開催された世界パイプ・スモーキング選手権の参加者が、俺はもう日本語を忘れたなどと称して原稿を出そうとしないので、無理矢理聴取した内容を報告する。なお、大会の写真はケルンパイプクラブのホームページより引用しました。 【編集部注】世界選手権の結果は、以下のケルンパイプクラブHPに掲載されています。 |
丹波 作造 |