大会記

大会参加記

2009年パイプスモーキング・ワールドカップ選手権大会 遠征記その2

<承前>

デブレツェンはハンガリーで2番目の大都市と言うが、実際に訪ねて見るとこじんまりしたのどかな田園都市である。市の最中心部にあるグランドホテルから主要な施設に徒歩で行ける。到着した10月10日は雲一つない快晴で、気温も摂氏20度を超えて、実に心地よかった。大広場に面したホテル向かいの軽食堂で昼食を済ませてから、遠征団一行は思い思いにホテルの自室でくつろいだり、大会会場横のロビーで開催中のパイプショウを覗いたり、夜のガラ・ディナーに備えて鋭気を養った。筆者はハンガリー製のパイプ煙草を購入しようと思い立ち、近くのスーパーマーケットに足を運んだ。

3年前にチェコ・マリエンスケラーズニェで開催したパイプスモーキングの世界選手権大会の帰途にハンガリーに立ち寄ったJPSC代表世話人のK氏によると、ハンガリーのパイプ煙草はあまり美味しくないということだったが、旅の土産にいくつか購入してみたいと思ったわけだ。ハンガリーでは、日本と同様に紙巻煙草が主流で、入国後一度もパイプをふかしているハンガリー人にお目にかからず、パイプ煙草は入手が難しそうだったからだ。ブダペストの煙草屋でパイプ煙草を購入しても、よく見るとドイツからの輸入品で、ハンガリー製パイプ煙草は売っていなかった。

デブレツェンのスーパーマーケットでも、なかなかパイプ煙草は見つからず、諦めて店を出ようとした瞬間に、視力自慢のM女史が勘定台近くにあったパウチ入りのパイプ煙草を目敏く発見した。値段を見ると日本円換算で30グラムで150円程と格安。そこで、店内になったパイプ煙草全部40袋あまりを購入した。店を出て銘柄を見ると、小さく製造会社名がBritish American Tobacco hungaryとあり、資本は外国でも製造はハンガリーと判ってまず及第。

早速、ホテル前の広場のベンチでY博士、M女史と3名でぷかぷかパイプに詰めて吸ってみたが、長い間売れずに店晒しになっていたせいか、葉が相当乾燥しており、かなり辛い味だった。強いて言えば、日本の往年の紙巻煙草の逸品「いこい」の味に似ている。デンマークやオランダのパイプ煙草のように甘い香料を使っておらず、煙草本来の味を活かしているが、乾燥し過ぎているので少し湿らせてから吸ってみないと本当の味は判らないという感想で一致した。ちなみに帰国後に霧吹きで適度に湿らせてから吸ってみると、高級品とは言えないが、まずまずの味であった。

さてさて、中央広場でのんびりデブレツェンの秋の午後をパイプとともに楽しんでいると、世界中から集まったパイプ喫煙愛好家の紳士淑女が、広場を散策している。そこで一際目立ったのが、豪快なカイゼル髭を悠然と靡かせながらパイプを咥えて散歩する長身で恰幅の良い紳士。まさに皇帝のように辺りを睥睨しておられる。あまりの貫禄に感動を覚え、目が合ったので会釈すると、鄭重に会釈を返してこられた。晩餐会の前に、ホテル一階のロビーでお目にかかったので改めてご挨拶した。悠揚迫らざる物腰とは彼のことをいうのであろうか。

後日、お名前と所属のパイプクラブ名をご教示頂いたところ、アメリカパイプクラブ連盟会長のヴァーノン・ヴィグ(Vernon.E.Vig)氏のご友人で、メリーランド州ボルティモア市のチェサピーク・ベイ・パイプクラブのウィルソン C. ワインミラー(Wilson Cornelius Weinmiller)氏とのことであった。その見事なカイゼル髭は49年かけて伸ばしたものだという。ちなみにワインミラー氏とは、翌朝もホテルのレストランでお目にかかったが、就寝中に形が崩れないようにカイゼル髭を耳の下にテープで固定して肌に付着しておられるのがユーモラスだった。髭の手入れも大変である。

ハンガリーも秋の日は釣瓶落とし。日が沈むと急に肌寒くなる。ワールドカップ前夜祭の晩餐会の時間が近づいてきた。部屋で着替えて2階の大ホール会場にいくと、様々な国のパイプ愛好家が今や遅しと開場を待ちかねていた。会場は自由席。日本遠征団一行は最前列右側の円卓に陣取った。

デブレツェン・パイプクラブ会長が開会の挨拶をしてまず食事。ハンガリーの地元料理のビュッフェ方式。卓上に黄金色の酒が並んでいる。聞くと、ハンガリーの地酒の蒸留酒パーリンカ。杏子や洋ナシなどの果物から作り、アルコール度数は45度とかなり強い。遠征団一行は左党揃いだが、一口飲んでみてパーリンカにはあまり手をつけない。ストレートでは強すぎるからだろう。若手のT氏が、一口飲んで気に入ったようで、次々に杯を重ねた。

鈴木達也PCJ名誉会長が、CIPCの新会長ら役員と各国のパイプクラブ連盟会長を、日本遠征団の席に次々に招いて紹介してくださった。お近づきの印ということで日本選手団からのささやかなお土産として、M女史が地元岡山の缶入り日本酒原酒とぐい飲み、檜の枡をプレゼントすると、大いに喜ばれた。CIPCの新会長に就任したフランスパイプクラブ連盟のアラン・ルトリエ(Alain Lutelier)会長には、ぐい飲みの台の部分が先が尖っている土佐の可杯(べくはい)を贈呈したが、使い方を改めて聞きにいらしたので、注がれた酒を飲み干さないと卓に置けない酒豪用のぐい飲みで宴席の座興用のものだと説明すると、大いに感心されていた。

鈴木名誉会長によると、10日のCIPCの理事会で会長をはじめとする役員改選があり、会長選挙では、1988年以来21年間CIPC会長をずっと務めたオランダのフィアート・デルクス(Geert Derkse)氏が、決選投票でフランスパイプクラブ連盟会長のルトリエ氏に僅差で破れた。衝撃を受けたオランダのデルクス氏は、そのまま席を立って帰国してしまったと言う。デルクス前会長はオランダを代表する名門校の校長であり温厚な紳士。理事会の場から退場してそのまま帰国してしまうとは余程のショックだったのだろう。3年前の世界選手権大会、前回のサンクトペテルブルクでのワールドカップで氏とは親しくお話をさせて頂いただけに、お会いできなかったのは残念だ。

さて、食事が一段落すると余興に移った。まず地元デブレツェンの大学生の民族舞踊クラブによる、伝統的なハンガリーの農村の民謡と踊りの披露。ハンガリー娘の民族衣装が清楚で初々しい。ヨハネス・ブラームスの洗練されたハンガリー舞曲と比べて、ずっと素朴な旋律で、どことなく中央アジア・トルコ風の調べを引き摺っている印象を受けた。ちなみに、音楽にも造詣の深いY博士に後日、伺ったところ、ブラームスのハンガリー舞曲は哀愁を帯びたジプシー音楽の旋律を聴いたブラームスがインスピレイションが沸き出てきて作曲したもので、ハンガリー農民の民俗音楽とはルーツが全く違うのだとのことであった。

続いて隣国ルーマニアの歌を、ルーマニアの民族衣装で娘さんが独唱した。デブレツェンはルーマニアに近いから交流が盛んなようだ。最後は地元の合唱団が登場して、張り切ってハンガリー民謡からジャズまで延々と1時間近く披露したが、いささか長過ぎて間延びしてしまった。バンド演奏による舞踏会が始まったのは10時過ぎで、舞踏会があまり盛り上がらないうちに、なんとなくお開きムードになり、日本選手団一行は翌日のワールドカップ大会本番に備えて、ホテルに戻った。

<続く>
日本パイプクラブ連盟事務局